オリブロ

オーストラリア在住、2人の子供のシングルママ。

コロナ後遺症??

去年の12月に初コロナ罹患しました。

 

Day 1 喉の激しい乾燥 異様な下半身のダルさ 葛根湯服用で2時間程元気になる 38℃程度の熱

Day 2 39.4℃まで熱があがる 激しい喉の痛み 食欲は有り 元気も有り

Day 3 38℃に熱が下がる 喉の痛みはあるが前日よりだいぶマシ

Day 4 37℃に熱が下がる 喉の痛みもかなりマシ

Day 5 平熱 喉の痛み無し 日常の家事を休み休みだが出来るようになる

 

咳や鼻水等は全くなく、症状は熱と喉痛、初日に下半身のダルさのみでした。

 

私はコロナワクチンを第一回だけ打っています。

 

一度目は4日後に突如として低血糖になり救急に行き、そこから内臓がとにかくなんか本調子ではない、という状態が2週間程続きました。

 

そして6週間後の2度目のはかなり不安で、数日前から水分を沢山摂り臨みましたが、なんの副反応も出ませんでした。

 

そして12月のコロナが完治してから10日程が経った頃、違和感が出て来ました。

 

気管にうっっっっすらと痰の膜が張っているような感覚。

 

いつもよりもかすーーーーーーかにだけ、呼吸量が少ない感覚。

 

そして、あえて咳をしてみると、底ーーーの方だけ喘息の時のような痰を絡みだすようなざらつき感があり、そんな音が一瞬聞こえる。

 

その状態が2週間程続くと、そのうち胸がタイトに感じるようになってきました。

 

普通に生活していて、数分起きに身体が深呼吸をするようになりました。つまり通常呼吸では酸素が足りてないという事なのだと思います。

 

でも、その深呼吸をする時に、最後まで肺が膨らみ切らないのです。

 

そして、深呼吸で肺を広げようとすると肋骨の一番下のラインが痛い。

 

まるで肺周りの筋肉が硬直して伸縮性が無くなってしまったような。

 

あくびをしようとしても、肋骨を広げ切る事が出来ません。

 

呼吸瞑想をしたり、全身ストレッチをしたりしてどうにかしようとしましたが、何をどうしても改善しません。

 

そんなある日、10か月振りにぎっくり腰になり、人生で一番ひどいギックリ腰でしたが、その瞬間からそのタイト感が無くなりました。

 

いつ何時深呼吸をしても最後まで肋骨を広げ切る事が出来る。腰は痛いがなんて幸せだと思いました。

 

ですが、腰がすこしずづ回復に向かうにつれ、またタイト感は戻って来ました。

 

今考えると、上半身上部の硬直により腰に負担がかかり、人生最悪のぎっくり腰になってしまったと思われます。

 

相変わらずのうっすら痰が気管壁にへばりついた感もまだあり、とうとう医者に行きました。

 

それまでに、朝起きてから数時間、さらさらの鼻水が喉に流れ続ける事に気づいていたので(かなりの微かな量でしたので注意しなければ気づかずに唾液として飲んでしまう程度)それはその都度喉に流れさせず口から出すようにしていました。

 

それも含めた私の状態を話すと医者は、この症状はコロナ以降とても多くみると言い、その為に製造されたステロイド吸引薬を4週間試すようにと言いました。

 

たしかにステロイドで炎症を押さえたらかすかな鼻水を止める事が出来、つまりはそれが原因の薄っすら痰を止める事が出来るという所まではわかりましたが、胸のタイト感はそれとは繋がっていないような感じがしつつもそれを4週間やってみました。

 

そして3週間目に入る頃胸のタイト感がやわらいで行き、丸4週間が終わる頃には深呼吸が出来るようになりまた横隔膜ラインの肋骨の痛みなども完全になくなっていました。

 

今それから2週間が経ちましたが、胸のタイト感は無事に無くなり、咳をした時の軽ーい痰の絡んだ感じも数日前からほとんど感じない程クリアになりました(完全ではありませんが)。

 

おそらくコロナ後遺症であったのだろうと思います。

 

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シドニーのショッピングモールでの刺〇事件

昨日ここオーストラリア、シドニーのショッピングセンターで非常に痛ましい事件が起きてしまいました。

注:事件の詳細に触れています

 

土曜日の昼下がり、男が刃渡り30センチの刃物を振り回し、次々と人を襲ったのです。

 

6人の方が亡くなり、病院で治療を受けている方は10名程。

 

最後は客から犯人の場所を聞き一人で現場に向かった女性警察官(映像では警察官は彼女一人でしたがその後に私服の一般市民の男性が3名程彼女の後を追いかけ走っていました。一人はその辺にあった椅子を手に取っていました)に刃物を手放すように勧告を受けたもののそのまま女性警察官に向かってきたという事で射〇されたという事です。

 

40歳男性の単独の犯行との事で、セキュリティーカメラによると前日もこのショッピングセンターに来ており、また当日はレストランで食事をした後、外を歩いている時にふらついてそのまま倒れる姿も映っていました。

 

ご両親はテレビで事件を知り、映像を見て自分の息子に違いないと警察に向かったそうで、息子を射〇した女性警察官に対し、その行動に対して全く異議は無く、彼女の心身を心配している、という事でした。

 

息子とは時たま連絡が取れるだけの状況だったとの事。

 

この男性、数か月前にシドニーに引っ越したものの、車中泊やまたバックパッカー等で寝泊まりしていた模様で、過去に警察沙汰になった記録は無いものの、精神的な問題を抱えていた事は警察は把握しているそうです。

 

亡くなってしまったので本人からの動機を聞く事は出来ませんが、これから警察の捜査で色々な背景が明るみになって行く事と思います。

 

痛ましい事件で亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈り申し上げます。

そして女性警察官を援護し武装無しで後を追った数名の男性、殺傷された被害者の方々に寄り添い必死で救急措置を取り続けた多くの方々、警察・医療関係の方々に敬意を表します。

 

この件によって、多くの方々の人生が変わってしまいました。被害側も、加害側も。

 

もう元通りに戻る事は無く、今回の事により大きなトラウマを抱える事となる方もおそらく大勢いらっしゃるでしょう。

 

長い年月がかかるかもしれませんがいつの日か皆様の心が癒されて行きます事を、心からご祈念申し上げます。

 

寝れない子供を6週間で眠れるようにした話

我が家の子供達は生まれた時から4年半前までかなり劣悪な環境で育って来ました。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

常に父親からの精神的なプレッシャーと身体的な暴力、上の子は特に第一次成長期で父親に反抗をするようになってからはそれがひどくなり、精神に深刻な影響を及ぼすまでになっていました。

 

特にターゲットにされていた上の子は常に不安と恐れの中に生きているような状況で夜の寝入りも悪く、8時に消灯しても2時間も3時間も眠れないという毎日をずっと過ごしてきました。

 

上の子が4年生の時に私は子供達を連れて家を出、罵倒・非難される毎日が終わり、少しずつ少しずつ自分を取り戻して行きました。

 

それまでの生活は、元夫を怒らせないようにという目的の為だけに生きていてそれ以外の事は殆ど目に入らず、また気づいていた事に対してそこに費やす心身体力はありませんでした。

 

そして元夫の元を去って2年が経った頃にようやく上の子の寝つきの悪さに対して行動を起こしました。

 

小児科に連れて行きその相談をすると、3か月メラトニンを服用するようにと指示を頂きました。3か月、薬に頼ってでも寝入りが出来る身体にする事でそのルーティンを身体に覚えさせて、薬をやめてもそれが持続する、という作戦でした。

 

ですが、私はそれをする事による体内でのメラトニン製造機能低下を引き起こすのではという懸念がどうしても拭えず、薬に詳しい友人に相談したり、またネットで色々と調べた結果、メラトニンはまだ与えない事にしました。

 

医者の言うように、3か月寝入れる習慣をつければ身体がそれを習慣として受け入れる。

 

ならば、私は上の子が寝入るまで毎晩マッサージをしよう。

 

3か月、毎晩マッサージをしてみる事にしました。

 

脳がリラックスする為に、身体(筋肉)を緩めるというのは良い方法です。その為にマッサージをするのが良いのでは、と。

 

上の子は寝る時に雷雨(嵐)の音源をかけて寝ていたので、嵐の音の中部屋を真っ暗にしてまず睡眠に効くと言うツボを入念に全身のマッサージをし、その後足裏や頭や顔のマッサージをしました。

 

というのも、全身のマッサージをしている途中で寝るかなと思っていたのですが、それでもまだ寝ないので足裏をやり頭をやり顔をやり、という感じでひたすらマッサージをし続けたのです。

 

とにかく何があっても3か月はやろうと思っていました。

 

初めの一週間はやはりそれまでのように寝入るまで2時間位はかかりました。

 

それが翌週には1時間半強、3週目には1時間半弱、4週間目には1時間程度で寝入るようになって行き、6週間が終わる頃には20分程度で入眠するようになりました。

 

3か月は続けようと思って始めた事でしたが、6週間が終わって、マッサージ無しで寝せてみた所やはり20分程度で寝入ってしまうようになりました。

 

1週目や2週目は、時間がかかるので眠くなって行く過程で喉が渇いたりトイレに行きたくなり歩いてしまってまた心身が起きてしまうという事もあったので、ベッドに行く前にトイレを済ませ喉を潤す(上の子も私も)事は気を付けました。

 

今ティーンになり私の身長を超えた上の子ですが、それでも時々恐らく精神的な事から来るのでしょうが突如として不眠になる事があり、そんな夜は変わらずマッサージをしています。

 

先日は久しぶりにですが、寝入るまでに2時間かかり、私自身が何度も寝入ってしまいそうになりました。

 

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離婚した夫との付き合い方

私は2週間に3回程度、スポーツをしています。

 

高校時代に部活でやっていたもので決して上手くはありませんが大好きなスポーツです。

 

下の子はその影響で3年ほど前から一緒にやるようになり今では学校もそのスポーツ目的で入り、そしてコミュニティの大会などにも出てハマりにハマっています。

 

先日、いつものように夜大人のトレーニングに友人と参加すると、その日は父親と過ごしている下の子が父親と二人でトレーニングに来ていました。

 

私は子供達の父親(つまり元夫)から、夜逃げ(朝でしたが)同然で子供達を連れて家を出ました。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

いつもは沢山の人数が参加しているので男女、さらにスキルの上下、にわかれるのですが、その日はこちらのホリデー前という事だからか人数が少なく、男女別は無くスキルでのみグループ分けがなされました。

 

何という事でしょう、父親と下の子と私は同じグループにされてしまったのです。

 

2019年の11月末に家を出てから4年と4か月、裁判を経て親権を決め、離婚も正式に決まり、今ではほとんど大きな問題が起きる事も無い環境となりましたが、この4年4か月、やりとりは書面(e-mailかテキスト)のみ、子供の試合などで姿を見たり近くを通り過ぎる事はあっても、決して話したり挨拶をしたり目を合わせるという事はありませんでした。

 

そして前回書きましたが、元夫は私からのe-mailにはほぼ返信をしてこないので、物理的には存在しているものの、コミュニケーションは私からの一方的なものでした。

 

それがイキナリ同じコート上で一緒にスポーツをするというなんともシュールな状況。

 

子供達の事についてのあれやこれやのコミュニケーションには全く返信してこなかった元夫はコーチの指導を私や友人がきちんと出来ていない事に関して下の子を通して指摘をして来ます。

 

元夫と同じコートでスポーツをするにあたり、他の方にご迷惑をかけないようとにかく最低限のマナーだけを守りつつがなく済めば良いという事を私は年頭においていました。

 

元夫はまず気まずくないのか、更に、私(と友人)へ息子を通して指導するという彼自身の行為にどういう意図があるのか。

 

全く読めません。

 

いや、嘘ですごめんなさい。

 

元夫は、私と友人がコーチの出した練習内容が目的に沿ってきちんと出来ていなかったから、それを私達にちゃんと理解させる為に下の子に日本語で説明させたのです。下の子も当然ですがそのトレーニングを同じコートでするので、私達にもきちんとやって欲しかったというのもあるかも知れません。

 

それ以上でもそれ以下でもないだろうと思われますが、あれだけずっと沈黙を貫いて来たのにこれかいっと思いました。

 

ですが、当然子供の為には別れた両親が普通に挨拶したり、子供達が取り組んでる事においてはプラスになるような言動を取って協力出来る事が望ましいです。

 

そう言った意味においては大きな一歩だったのだと思います。

 

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元夫に対する、子供達の両親としての認識

先週は1週間下の子のスポーツの大会があり、今日は上の子も下の子も所属している地域のスポーツのプレシーズンマッチがあって私は試合観戦です。

 

私自身はスポーツはするのも見るのも大好きなので楽しいシーズンが始まります。

 

子供たちがそれぞれ練習や試合やその他のスポーツに関わる行動をとるにあたり、どうしても元夫と協力して任務をこなしていかないと回らない状況も出てきます。

 

それはお金の面でも、物理的なサポートの面でも。

 

私は元夫から4年以上前のある朝、逃げるように子供達を連れて家を出ました。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

現在は元夫と会話はせず、メールやテキストで要件や事を回す為の提案を投げますが元夫は直接私に返事をすることはほとんどありません。

 

私にではなく子供たちに伝えるので正確な情報やまた細かいプランを立てるのは困難且つ、物事の直前になってようやくということもしばしばです。

 

私はそれに寄りで仕事のスケジュールも調整せねばならない為、子供達のスケジュールが出た段階でそれについてどうするかの提案をし意見を求めますが結局ギリギリまで元夫の意向がわからないので仕事のスケジュールも直前まで何も入れず空白のままとなります。

 

先日元夫の母と話していた時、彼女の発言で、元夫は元夫のベストを尽くしている、と言うモノがありました。

 

それが真実なのだと思いました。

 

昔も今も。

 

誰しもそうだと思いますが、自分の頭と感覚で快適で正しいと感じる事に体力や感情を含めてベストを尽くすのが人間だと思います。

 

元夫もきっとそうなのでしょう。

 

今となっては私は元夫からのやや批判的な言葉、言い訳めいた言葉、何度もこちらの都合もあるから早く返事が欲しいと言うアプローチが考慮されない事態などに対して何も感じなくなりました。

 

元夫が発する言葉や行動はただただそんなもんだと言う認識でいます。

 

それ以上にも以下にも受け止めず、雨が降ってきたから服が濡れた、ちょっと目を離したら炒め物が焦げてしまった、と同じような感じです。

 

起きた出来事は良い結果ではありませんが、それに心を乱されて負の感情を持つほうがよっぽど自分にとってはマイナスです。

 

物事は物事として事実を理解はしますが、それに心をマイナス方向に引っ張られる、という決断はしません。

 

子供達がいるので元夫とは協力せねばならず、それがスムーズでは無い事は嬉しい事ではありません。

 

が、元夫と言う人間との関わりはこんなもんなのです。

 

私や子供達のあれやこれやに支障が出る事があるのは不可抗力なのです。

 

それを当たり前とすれば、そこにはただただニュートラルに物事を認識すると言う状態があるだけです。

 

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ティーン、感情、学び中。

上の子が学校代表のスポーツのチームに入り、先週から試合が始まりました。

 

それにあたって試合のスケジュールを確認するのに、あるアプリを生徒のスマホに入れないといけないという事で先生からメールでリンクが送られてきていました。

 

上の子は地域のクラブチームでもそのスポーツをやっている関係で、私はそのアプリを既に持って居たので、学校の試合スケジュールも確認する事が出来ました。

 

そして上の子にその話をして、スマホを私に渡すようにと言っても拒否し、私が単純にオンラインで上の子をレジストすれば良い、と言います。

 

何度かやってみましたがおばさんの力では及ばす。

 

その事を伝え、「ママは見れるからスケジュールは確認出来るんだけどね」と付け加えると、「(ママが見れる)なら、それでいい」と言うので「じゃぁ入れなくて良いの?」と聞くと「良い」と言いました。

 

という経緯でその後は放って置きました。

 

するとまた先生から、うちの子のレジストレーションが確認出来ないのでこの週末に済ませて下さい、と再度メールが。

 

その事を上の子に伝えると「そうだよ、だから一週間以上前にママにお願いしたじゃん」と言いました。

 

私は、経緯を説明しました。

 

上の子がスマホを渡さなかったこと、その代わり私のパソコンでWebでレジストしてと言ったがそれがママはうまく出来なくて、その事に加えてママのアプリでは学校のスケジュールが見れると言ったら、ならいいという事だったのでそれ以降は放って置いた事。

 

すると上の子は良いなんて言ってない、「レジストして、と一週間以上も前にお願いしてるのにまだしてくれてない!」、と言ってきました。

 

私がもう一度、だからね…と経緯を説明しようとすると「そんな事はどうでもいい!とにかく今すぐレジストして!」と大きな声で言うので、

 

「どうでもよくはないよ…」と話をしようとするとそれを遮り今度は「ママはやると言った!一週間経ってもまだやってない!何を信用すればいいんだ!」と怒鳴り始めました。

 

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子供達のお父さんである私の元夫はモラハラでDV気質でした。

私は子供達に、自己中思想でそれに沿わないものは力でねじ伏せるような大人になって欲しくないという思いが非常に強いです。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

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こうなると上の子の精神性ではこれ以上の冷静な話し合いは無理です。

 

私はそれ以上何も言わずにレジストをしようとパソコンを開きました。

 

上の子の学校での情報をその場で確認しつつ作業を進め、レジストはなんとか終わりましたが、その作業中も上の子の態度はひどく、やっと終わってもありがとうの一言もありませんでした。

 

レジストが済んだ後、上の子はログインしようとしていましたがてこずっているようで私に助けを求めて来ました。その口調は至って普通でした。

 

私は「ママがすべき事はしました。あのような態度を取られ怒鳴られ、ありがとうの一言も無い人にこれ以上手を貸すつもりはありません。自分でなんとかしなさい」と伝えました。

 

上の子は驚いたようでしたが、すぐに「だって完全にママが悪いじゃん!…」と言い始めたので、私は黙ってその場を離れ自室に行きドアを閉めました。

 

その後下の子がしなくてはならない事をなかなかしないので上の子がそれを指摘してちょいちょい喧嘩をしたりなんやりが聞こえて来ましたがずっと放って置きました。

 

そしてしばーらくしてから上の子が部屋をノックしてきて、私に全く別件でお願い事をして来たので、「まずはさっきの事で話をしてからね」と言うと、上の子は大きくため息をつき、「わかった。なに?」と言って来ました。

 

私は「あなたが言った事とママが言った事は完全に真逆だよね、起きた事は一つなのに。あなたはこう解釈していて、ママはこう解釈していて、あなたもママも嘘をついてはいない。つまり二人の間で勘違いが起きていたという事なの。」

 

と言うと、「わかったよ。自分はこうでこうでこうでこうこうで…」と再度言ってきたのでそれを全て横やりを入れずに最後まで聞きました。

 

そして「だからこう理解してた。でもお互い勘違いをしてた。それならそれで良い。OK?」と言って来ました。

 

私は「そううだよね、あなたはそう思ってた。ママはね…」と話し始めると、

 

「勘違いだったんだからそれでOK?と言ったじゃん」と遮って来ました。

 

私は言いました。

 

貴方が自分の言いたい事は言うけれども、私の意見には耳を傾けるつもりはないのだという事が見えそれを不公平に感じる事。

 

この状態で今回の件を終わらすのはママは嫌なので今貴方が聞ける状態でないのなら、聞ける状態になってからまた来てください、と。

 

至って平らかに。

 

すると上の子はわかった、聞けるよ、と私の部屋に入って来て床に座りました。

 

100%ではないにしても雰囲気に変化が見られたので私は言いました。

 

正直ママにとってはこの案件自体はどうでもいい。もし他人にこういう扱いをされたとしたらママは単純にその場をやり過ごしてその人には何も言わず、以後その人とは距離を取るだけの話。

 

人間と人間の付き合いでは言った言わない、または理解の仕方が違う事からの勘違い、は頻繁に起きる。

 

その度にあなたは、自分の記憶と理解のみが正しいと思い、そうではない相手を怒鳴り力でねじ伏せ、自分はこう思ったからと自分側の意見だけ述べて相手の意見は聞きもせず、「これでOKだね」、と終わらすつもり?

 

と。

 

もしあなたがそう信じ、そうしたいならそうしたらいい。

 

でも、大切な親友であったり、大切なパートナーと勘違いが起きた時、今日のあなたのやり方をして行くのであれば、彼らはあなたの元を去って行くよ。

 

ママはその部分を心配してるから、今こうやって貴方とさっきの事についての話をしているの。

 

確かにあなたに怒鳴られて嫌な気分にも悲しい気分にもなった。でもね、ママはあなたのママだから。いつでも何があってもどんな事が起きてもママはあなたの味方であなたの事を見捨てる事もあなたから離れる事もしない。

 

だけど、他人はそうではないんだよ。どんなに親密であっても。

 

たった一回の言動が原因で、永遠にあなたの前から姿を消してしまう事もあるの。

 

そこで言葉を止め、黙って上の子を見つめました。

 

上の子は数秒してから、「うん、わかったよ」と落ち着いた声で言いました。

 

8年ほど前に子育てエキスパート的な方の記事で読んだことがあります。うちの子は小学年生、何回言っても同じ事を繰り返します、何度も何度も繰り返し言ってるのに、的な相談に対する返答でした。

 

「お母さん、正しい道を歩まれています。安心してそのまま進んで下さい。こどもは精神的にも知的にも、いつかそれがストンとわかる日が来ます。でもその日が来るまでそれはわかりません。お母さんが言う事をやめてしまったら、いつかその日が来ても何も実りません。」

 

私もこれからも、一度植えた、なかなか目を出さない種に、それでもいつかはと信じ続けて水を与え続けて行こうと思います。

 

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今日を、生きよう

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今朝、起きた時。

 

「生きてる、また今日1日過ごせる」と、思いました。

 

それに感謝しました。

 

先週、ギックリ腰をしてしまい、3日間日常生活がままならなかった私。

 

まだ痛みはあるので今朝も起き上がるまでにじっくり時間をかけました。

 

今日は今週学校のキャンプに行っていた下の子が帰ってくる日。

 

久しぶりに顔が見れる。

 

子供たちと話したり、一緒に遊んだり、食事をしたり、同じ屋根の下で過ごしたり。

 

仕事でお客さんと会ったり、友達とメッセージし合ったり。

 

好きな事をしたり、美味しいものを食べたり。

 

体験型アトラクションのように。

 

楽しもう、と思いました。

 

今は、綺麗な月に見守られながら上の子のスポーツ観戦です。

 

暑くも寒くもなく、気持ちの良い夜です。

 

今日の写真:今夜の月、パチリ

 

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不満を持つという事、愚痴るという行為

自分は被害者であり自分に非は無く、周りが自分の意向に沿わない事が問題となっている。

 

それに自分は不満を持ち、そして愚痴る。

 

先日ママ会をした時の事です。

 

そのうちの一人のママさんが、夫と子供達の事について盛大に愚痴っていました。

 

ママ・妻歴15年前後の集団ですので、彼女の不満に対して色々なアドバイスが飛び交います。

 

が、彼女はそれら一つ一つのアドバイスに対し、それはしたけどうまくいかなかった、と答えます。

 

すると、次第にママ集団は、彼女の期待値や妥協点に対し、それらは勿論夫のそれまた夫が子供達に持って居るそれとは違うので、

 

そこを見直して調整してみるのはどうかという方向に移動して行きます。

 

ですが彼女は彼女の不満は最もであり、彼女が引いた境界線を越えて来る、

 

かつそれに対して話し合いをした所でまたは子供に罰を与えた所で家族がそこを反省して境界線を尊重するという事をしない状況に対して愚痴を言い続けるのでした。

 

とは言え、結果、夫や子供達は境界線を越えてくるのに対し、逆に家族が求める妻・母像に自分がなれるように誠心誠意応えようとしています。

 

勿論その応えようとしている事にも、それは自分の本意ではなく、家族がそれを求めるから、という理由で、そこに不満を募らせていました。

 

家族がどうであれ、彼女の中にどういった心理が起きたにせよ「応えようとする」のは「彼女が出した決断」であり、家族の決断ではありません。

 

Noと言う事で予想される衝突を避けたいから、また母としてすべきだと思っているから、色んな理由があるでしょう。

 

でもどんな理由にせよ、それは「彼女自身の決断」なのです。他人のではない。

 

そんな彼女は容姿や言動や能力など自分に対しても不満ばかりです。

 

誰がどんな意見を投げても頑なに家族の事にも、自分の事にも否定的な姿勢を崩しません。

 

しんどいだろうな、辛いだろうなと心底思いながら聞いていました。

 

以前の私自身がそうでしたので、痛い程その状況が理解出来ました。

 

主張の強い元夫、絶対に譲らない元夫。Noと言ったり従わない場合、やがて精神的DVへとそれは発展して行き、

 

その過程で私は自分に対する自信を無くして行き、自分に対してダメだしばかり、不満ばかりでした。

 

最終的に私は子供達の心身の健康を懸念し子供達を連れて元夫から離れる、という「決断」をしました。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

そう、全ては自分の決断なのです。私に於いて言えば、残るも去るも私の決断。

 

色々な事において、物事がバッチリと自分の要望に合う状況になるなど、この世で殆どと言って良い程起きる事はありません。

 

それにどうしても納得がいかないのであれば、それが「そう」なるまで諦めずにとことんこだわって押し進める決断をすれば良いのです。

 

私の元夫のように。もしかしたら家族を、家族の形を失う事になるかもしれなくても。それよりも自分の要望を叶える方が大切と思うのなら。それも決断です。

 

自分の要望に沿っては居ない状況を、妥協なり諦めなりの理由で受け入れるのであれば、それもまたそう決断すれば良いのです。

 

私のように、心身が安全ではない場合は別ですが、そうではなく、周りで起きている状況を甘んじて受け入れるという決断をしたのであれば、そこをキッパリ「良し」とする覚悟。

 

「良し」に対しては人は愚痴りませんから。

 

そうなる為にはそれを「良し」と決めたのは自分だと自覚を持つ事です。

 

自分が「良し」としたのだから、それを愚痴ったり期待したりもしない事。

 

他人に強制的に決められた、決めさせられた、のではなく、自分の決断と自覚を持つ事。

 

人間同士うまくやっていくには、自分と他人を正しく理解し、境目を上手に定める力が必要です。

 

自分の意見を押し通しても、相手の意見を受け入れすぎても、うまくはいかない。

 

そうやって周りの状況を少しずつ整理して「良し」にして行けば、いつしか毎日の生活から不満は消え、愚痴も減って精神的に楽になるでしょう。

 

その一歩目は、まず自分の自身に対するあれやこれやのダメ出しを「良し」としていく事です。

 

頑張り過ぎていませんか。自分に厳しすぎではありませんか。理想が高すぎではありませんか。等身大の自分を理解出来ていますか。

 

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人生の成功形とは

 

私達はここに何をしに産まれてきたのでしょうか。

 

人間が生きる意味とはなんでしょう、人間の一生、何をして過ごすべきなのでしょうか。

 

どんな人生を送ったら正解なのでしょう。

 

そもそも、人生に正解不正解などあるのでしょうか?

 

産まれて来て人間活動をしている私達。

 

いつかこの身体から卒業する日が来る事は100%保証されています。

 

その明日かも知れない数十年後かも知れない、でもいつか必ず終わるこの肉体と共に過ごす人生の期間を、どうすごしたら成功と言えるのでしょうか?

 

小さな頃から塾に通い、何らかの思惑によってその思惑の為に都合の良い思想を持つ国民に育て上げる為に定められた内容が盛り込まれた教科書をとにかく叩き込み、

 

それをより多く覚えてこなせると上がっていく偏差値、そしてその偏差値のより高い学校に入り、その後当然大学に行き、そして本当に人間活動をより豊かにするのに必要なものかわからないような仕事先に就職をし、

 

異性と恋愛をして結婚をして子供を産み、その子供をまた同じように偏差値の出来るだけ高い学校に将来入れる事を第一優先として環境を整え、

 

大学に進学させる為にその資金を稼ぐ、と同時に自分の家を大金を借りて持ち、更には老後の為の貯蓄をする。

 

つまりは子育てと言う人生において一番心身が稼働するであろう時期に、生活費の他に3つの目的の為に働く訳なのでめまぐるしい毎日を送る事となり、

 

老後はなるべく人に迷惑がかからないように自分の資金を充分に貯めて施設にお世話になり、

 

医療技術が向上したお陰で肉体的にも精神的にも寝てるのか起きてるのかわからないような状態で毎日一人部屋に「生かされ」、ついにその生涯を施設で閉じる。

 

近代の歴史や国や世間から刷り込まれた模範的人生とは恐らくこのようなものではないでしょうか。

 

少なくとも私は、そのようなテンプレートを当たり前のように目標として漠然とそういった人生が送れたらそれが人生の成功形だと思っていました。

 

そこから外れている人を世間は白い目で見る、という事も幾度となく見て来ました。

 

私は市内で一番の高校に進み、“当然”大学にも進み卒業しました。

 

しましたが、単位はギリギリでした。

 

大学時代に遊びまくり、授業に出なかったからです。

 

13年はバイトと遊びに明け暮れ、4年では一つでも単位を落とせば卒業は出来ないという状態でしたので単位を取り無事に卒業をする為だけに、出席をしました。

 

学びの4年間ではありませんでした。

 

特に最後の一年は、単位を取り、なんとか卒業をする為だけに焦点を合わせた生活でした。

 

そして大学の専攻とはまったく関係の無い所に、仕事内容も良くわからないままに就職をしました。

 

3年働いてまた全く違う業種に転職し、そこでまた3年働きました。

 

そしてオーストラリアに来て、元夫と出会い結婚をして2児をもうけました。

 

ここまでは、程度の差はあれ、私は親や世間から刷り込まれた人生の成功形をなんとか死守してきました。

 

そして離婚をした事でその道を踏み外しました。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

子供達も進学校ではなく、大学もおそらく行かないと思います。

 

住まいは借家で子育て資金は最低限のものしか提供できていませんし、老後の為の資金など全く用意出来る状況にありません。

 

つまり私は人生の失敗系を現在ひた走っているのでしょうか。

 

成功ってなんでしょう?失敗ってなんでしょう?

 

冒頭に書いた「人生の成功形」は、世か定義して来た事です。

 

世間がそう言っているのです。

 

では、その成功形を達成したらどうなるのでしょうか。

 

そりゃ当然、一年に一度の海外旅行なり、年に数回の温泉旅行なり、日常でちょいちょいある飲み会であったり、そんな楽しみはあると思いますが、

 

人生全体で上空から眺めた時に、この成功形はどう見えるのでしょう。

 

このレールに乗って人生を進んで行ったら、無難に「生き終える」事が出来るのかも知れませんね。

 

無難に。

 

つまりは、人間は、ここに産まれてきて約束された限られた命を全うするまでの時間を、とにかく無難に事をこなし続けて終える為に産まれて来たのです。

 

…って、そんなわけあるかー!

 

私は思う。

 

そうしたい人はそうしたら良い、とも思うしそれを否定するつもりもない。

 

人間にはそれぞれ、得手不得手があると思う。

 

生まれ持ったセンス、というがそれは前世からのキャリアを持ちこしてきたものかもしれない。

 

自分が好きなこと、どんなに時間を使って探求しても飽きないこと、出来る事ならそればかり出来る毎日だったらな、と思うこと。

 

それを人生をかけて追及する事が出来たら、そこを居場所として生きる事が出来たら、それ程幸せな事はないのではなかろうか。

 

確かに今完全に分離・物質社会として運営されている地球では、自身を養わねばならないのでバランスは必要とは思う。

 

でも、自分の心の声に耳を傾け、それを正しく理解し、今のこのシステムの中にいながらにしてその自身の生きる意味、目的に心身を委ねる事が出来たら幸せなのではと思う。

 

子供達にはそれに気づいて欲しい。そしてバランスをとりながら心身充実した人生を送って貰えたらと切に思う。

 

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裁判 証拠

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現在某お笑い芸人や某スポーツ選手の世間を騒がせている件で、彼らと被害を受けたとされる女性側との主張が真っ向から対立しています。

 

これについて思う事があったので今日はそのお話をします。

 

私もここオーストラリアで裁判をしました。数年前の話です。

 

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

 

一つは治安判事裁判所にて接近禁止命令を求めて。

 

もう一つは家裁において子供の親権その他を求めて。

 

私は小学校の頃から日記を書く習慣がありました。

 

小中高大学までそれは続き、日々のあれこれを記録に残す、という作業を身近に感じている人間です。

 

元夫との結婚生活中も、度々起こる不可解不公平非常識な事柄を、日付と共にノートやコピー用紙などに書き記していました

 

その紙(A4またはそれより大判)の束は厚みが10cmを超えます。

 

このブログでも多くはありませんがいくつか残してあります。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

また、私が理解出来ないからという理由で毎度怒鳴られるという結果になる事から、何を言っていたのかを後で理解したくて毎回「話し合い」の度にこっそりとしていた録音は、

 

家を実際に出るまでの最後の8か月においては理解する為、ではなく元夫の家での言動を記録に残す目的で元夫が在宅の時間は朝から寝るまでずっとオンの状態となっていました。

 

それら膨大な書類を、家を実際に出る前の2ヶ月間ほどかけて毎日こつこつと整理しました。

 

その中でもひどいもの、特に音源も残っているものを厳選し、申請用紙にすぐに記載できるように新しい方からの時系列で日にち、時間、前後の内容、実際の言動を事細かくタイプしておきました。

 

そして音源と文字起こししたものをセットにして保存しておきました。

 

元夫は元夫の方の主張を申請書類に記載してきます。

 

元夫の主張は曖昧で、しかも嘘も書かれていました。

 

曲がりなりにも国家機関に提出する書類なのに、嘘をこんなに堂々と書くという事に私はなにをどうしたって理解出来ませんでした。

 

私が真面目過ぎるのでしょうか?

 

元夫の主張に対しての私からの反論の書類で、

 

この〇年頃、と書かれているものは〇年ではなくその前年の何月にどこどこで起きた事です、とか、この口論の際私はこのような言動はしていません、この時の音源によると、私はこの時にこのような言動をしています、

 

などと、逐一元夫の主張の訂正をしました。

 

私の主張に対しての元夫からの反論もありましたが、私はそれらに関して私の事務弁護士に「これは嘘だ、この音源残ってるから証明出来る」等言ったのですが、事務弁護士は必要無しという事で特にアクションは起こしませんでした。

 

今考えるとですが、初めの方にたった一度だけ、一番ひどい事件の音源を事務弁護士に聴いて貰ってありましたし、警察からDV機関への紹介の事実もありましたので、

 

私の事務弁護士は双方の書類の段階で私が真実を忠実に述べていて、元夫のは信ぴょう性がない事、そして当然判事にそれが明白に伝わる事を既に理解していたのだと思います。

 

判事は原告被告を法廷で生で見たその瞬間や、電話においてYes、のその発声一つでそれぞれのその人となりを理解すると事務弁護士が教えてくれた事がありました。

 

結果を申しますと、私の証拠(音源)は使われずじまいでした。

 

というのも、治安判事裁判所の方も、家裁の方も、最後には法廷弁護士が入った段階で何かしらのアプローチがあったのでしょう、元夫は案件を法廷まで持ち込む事を諦め私からの主張を受け入れる事になったので、判事に決断をして貰う、という過程が無かったからです。

 

判事は当然ながら、弁護士の方々も真実がどこにあるのか、クライアントが言ってる事が白か黒かというのはもしかしたら一般人の私が想像する以上に明確に見えているのかも知れません。

 

ですが、だとすれば元夫の弁護士はどういう思いで仕事をしていたのでしょう。

 

元夫の弁護士も私の事務弁護士同様の知識と経験を持ち合わせているなら、書類の段階で自分のクライアントの主張が真実ではないかもしれないという事には気づいているはずです。

 

そうと知りながら、クライアントだから、お金を貰っているから、弁護をしているのでしょうか。

 

嘘と知りながら。

 

今世間を騒がせている案件も、真っ向対立をしているという事はつまり、どちらかが真実でどちらかが虚偽という事です。

 

一方が真っ白で一方が真っ黒ではないにしても、少なくとも一方が白よりのグレーでもう一方が黒よりのグレーである事は確かです。

 

そうだとすれば、どちらかは不明ですが黒よりのサイドの方は、何を思って、どういった考えでそうしているのでしょうか。

 

人として。

 

本日の写真 : 島に遊びに行ってきました、パチリ。亀が写ってるのが見えるかな〜。

 

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30年の時を経て 友の手紙

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幼少期から大学で家を出るまで育った家を売却した。

 

数年前家売却に向かって、私は山ほど置いてあった自分のモノを選りすぐり6つの段ボールに詰めて船便でオーストラリアに送った。

 

いわばこの段ボール6つが私の日本での持ち物の全て。

 

子育てに忙しくその段ボールのほとんどは届いた状態のまま長年しまっていたのだが、この年末年始、まとまった時間が出来たので意を決して整理する事にした。

 

手つかずだった箱のうちの2つ。

 

一つには、歴代の卒業アルバムとそして写真が山のように入っていた。

 

そしてもう一つの箱は、手紙。

 

アラフィフ世代。

 

高校生まで、友人とは電話と手紙が主な交流方法だった。

 

その中でも特に仲の良い友人とは交換日記や交換テープなるものをやりとりしていた記憶もある。

 

毎年の年賀状を初め、それぞれに拘りのある封筒と便せんで。

 

はたまた学校内では日常のルーズリーフやノートの切れ端を使って。

 

何ミリペンで書いたの?って位の小さな文字で小さな小さな紙の切れ端に書かれた、恐らく「オリーブちゃんにまわして」と授業中にクラス内を回ってきたのであろう秘密の手紙も沢山あった。

 

ありとあらゆる色、形、大きさ、折り方の手紙がぎゅうぎゅうと詰まっていた。

 

懐かしさで当時にタイムスリップし、戻って来るのに数日を要した。

 

そして、大変な思い違いに気づく事となった。

 

多感で未熟な時期の女の子という生き物はなんせ気まぐれで残酷だ。

 

ちょっとした事で「仲間外れ」をする。

 

そしてグループ内の仲間なのに、順番で無視をされる番が回って来る。

 

その理由は、好きな人が一緒だったから、とかそんな事。

 

くだらない事この上ない。

 

でも、そんなくだらない事があの頃は生死を揺るがすような事件だった。

 

例に漏れず、私も小学校6年、中学校3年の時に半年以上仲良しグループから無視された時期がある。

 

そして、中高で私は3人の男の子に告白し全員に振られたという輝かしい経験もある。

 

これらは私の心に強烈に刻まれ、私が私自身を判断するにあたり大きな影響を与えた。

 

私はこれまで地元での子供の頃の自分にネガティブなイメージを持って居た。

 

いつの日か、かつてのMixiで高校時代のクラスメートから急に連絡を貰った時も、10年も経ってオンライン上で発見したからと言って連絡を取ろう、と思う対象では私はないと思っていたのでとても驚いたのを覚えている。

 

今回当時の友達からの大量の手紙を読んで、人間の記憶がいかに曖昧で且つバイアスの掛かったものかという事を知る事となった。

 

私は確かに無視もされていたし、意中の男の子からはことごとく振られた。それは事実だ。

  

でも、どうやら男女問わず姐御的な感じで慕われている存在であったようだ。

 

背も高く、恵まれた身体のお陰で力が強かったせいでつけられた、なにやらもの凄く強そうなあだ名は、笑いものとしてではなくて一目置かれていたが故という方がどうやら正しいようだ。

 

学校行事をする時はことごとく中枢のポジションを任され、卒業後はクラス会やってーとお願いされるような求心力があったようだ。

 

写真はふざけてる事が多く、私が提案したのであろう団体ポーズの写真も沢山あった。

 

その本来の私になんと好意を寄せてくれていた人も複数人いたようだ。

 

このブログでも書いた事があるが、私は真面目で頼りがいのある、という自分の本性にコンプレックスを持ち、明るく華やかで守ってあげたくなるような女性に憧れていた。

 

そんな風になりたかった。

 

だから、みなから頼られ、強さに一目置かれそこそこ素敵に充実していたであろうことは肯定的に記憶には留まらず「無視された」「振られた」という強烈なイメージのみが記憶に残りネガティブなイメージとなってしまったのであろう。

 

 

若さゆえ、未熟さ故ではあるにしても、非常に勿体ない事だ。

 

今回そのほとんどは廃棄処分となった。

 

段ボール箱一箱分のその「廃棄物」は、長年の時を経て最後の最後に私の子供時代の記憶を大きくポジティブに塗り替えるという大事業を成し遂げて私の元を去っていった。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

本日の写真 :  前日道端で出会ったトカゲちゃん。とてもちっちゃくて可愛い。パチリ。

 

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不眠 更年期?

眠れるってなんて素敵!

 

お年頃の私の不眠ナイツ祭。

 

今回は5日程開催中。

 

しかも先月のコロナの後遺症なのか、1週間程前から喉より少し下の気管になんかうっっっすらと痰がへばりついて呼吸が浅い感じがする。

 

そういったわけで日中は呼吸が浅く、夜は夜で長い夜。

 

「このまま眠れなかったらどうしよう」だの「この意味不明の気管の状態が悪くなったらどうしよう」だのという思いに陥っている事に気づく。

 

2日前「そうだった、これ全て私自身がプランして来た事なんだった」と思い、ここから私は何を学んでどのように成長したら良いのだろう、という思考にシフト。

 

そしてまた、夜通し常に意識があると感じている中でも、ふと気づくと変な夢を見ている瞬間があるので浅いものの寝ていた事実を正しく理解。

 

昨夜は寝入りに時間がかかり且つ途中一度目が覚めたものの、そのあと気づいたら朝。

 

まとまった睡眠が取れた模様。

 

2年前の長い不眠の時は、脳がバッキバキに覚醒しているという感覚。

 

でも今回はそういった脳みそキラキラ状態、ではない。

 

昨夜は明るい兆しが見えたので、規則正しい生活をしながら気長に乗り越えよう。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

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個性

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第三者の目で正しく自分を見た時、自分の良い所ってどんな所?

 

先日友人と話している時に聞いた質問です。

 

友人はしばらく考えて、「なんだろう、何も出てこない」と言いました。更には、自身について目に見える物理的なマイナスポイントを言い始めたので私はそれを遮り、

 

そういう事ではなくて、貴方が貴方自身の友人だったとして、貴方のどんな所が好き、で友人としてお付き合いしてる?

 

と聞き直してみました。

 

すると友人は再度しばらく考えて、こういう所かな、と一つ言ってくれました。

 

私は「あー、なるほどね、本当だ。私それ貴方に思ってるわ」

 

と言うと、更に2点、あとはこうでこう、あたりかな…と出してくれました。

 

自分の事が好きで良い悪い含め自分の全てを100パー受け入れてる。

 

と思えない人は少なくないと思います。

 

人間は完璧ではありません。

 

そして100人居れば100通りの人間が居て、それぞれに個性があります。

 

その個性は程度によって長所短所の両面を持ち合わせて居る場合が殆どです。

 

例えば、他人から見た私の個性。

 

それは真面目・誠実・頼れる、といった部分。

 

これは長い事、私自身を苦しめて来たコンプレックスでした。

 

私にとってこの私の個性は、「つまらない・華が無い・お堅い」、という印象であり、私は「華やかで面白く軽やか」な人に憧れ、女性としては頼れるではなく「守ってあげたい」対象になりたくて、そんな雰囲気を出そうと努力をして来ました。

 

でも本来の個性は言わばその人の基礎。

 

根本がそれである為、外側で如何なる振舞いをして居たとしても、所詮はその本質がどっかりと基盤として横たわっているので、違和感を感じていました。

 

そして頑張ってそう振舞っていた時期も(いやむしろ振舞えていなかったのか?)本質は隠せるものでもなく、周りからの私への評価は変わりませんでした。

 

今ではこの本質を私の個性・長所としてきちんと理解し受け入れています。

 

私が社会から受けた恩恵をこの本質をもって社会に還元する事が、正しい形だと思っています。

 

でも、くすりと笑える、自然と笑顔になってしまうような楽しいブログを拝見すると羨ましく、いまだに激しく憧れてしまうのもまた事実です。

 

本日の写真 : 昼間芝生に寝っ転がって見上げた空、パチリ。

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

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地球の次元上昇の為に

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毎日忙しく生きていると、目の前の事に追われてトンネルビジョンとなり易く、日々の物理的な事象のみに対応し過ごす傾向になる。

 

魂に意識を向けるような余裕は無く、肉体活動に大いに偏った思考になり易い。

 

この肉体は、魂がこの3次元の地球上で物理的な活動を可能にする為の唯一の乗り物であり、色々なリミットを抱えている。

 

最大のリミットは、肉体の寿命。

 

肉体は永遠のものではなく、いつか心臓の鼓動が止まり、その時点で肉体への生命供給が途絶え間もなく終焉を迎える。

 

能力にもリミットがあり、鳥のように飛ぶことは出来ず、魚類のようにエラ呼吸で水中に生息する事も出来ない。

 

そして酸素、水分、栄養素の供給が途絶えた場合、多少の差異はあれどどの肉体も急速にその活動を終えざるを得なくなる状態に追い込まれる。

 

私は物心ついた頃からそして今も変わらずレインカーネーションを信じている。

 

特に親や周りの人間でそういう事を言っている人はいなかった。

 

自分が何故そういう思想であったのかは不明だ。

 

今は私の子供達もはっきりそれを理解していて、命にまつわる事で会話をする機会がある時に「ママの考え(レインカーネーション)だとこれはどういう事?」と聞いて来る。

 

人生100年時代、もし人生が今回の一回こっきりだとした時、私は非常に「なんてこったい」な経験をした。

 

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

 

  

これは自分自身だけでなく、私の子供達、そして両親や兄のたった一回の人生にも大きなインパクトを与えてしまった。

 

また人生が一回こっきりだったとしたら、私が思い描いていた老後の生活は決して手には入らないという結果をもたらした。

 

そう、決して。

 

だが、魂にリミットは無い。

 

肉体の終わりと共に魂は魂のみの姿に戻り、また輪廻転生を繰り返す。

 

何の為に?魂の浄化の為に。地球の次元を上げる為に。

 

人は産まれてくる時に自分の人生プランを立ててから産まれてくるという。

 

そして何歳で死ぬかも予め決めて来るという。

 

そのプランには前世のカルマの回収や魂浄化の為のプログラムが盛り込まれているという。

 

また何かのスキルに於いて来世で花開くように現世でここまでスキルアップする、等のプログラムを用意する場合もあるという。

 

私が尊敬してやまないある先輩の話。

 

今会社経営者であるその先輩との出会いは20代の頃の職場だった。

 

先輩は大学の時に、卒業したら異業種3つの会社で働き、その間人脈造りと社会勉強と準備とし、そして独立する、というプランを立て、そのうちの一つの会社で私は先輩に出会った。

 

なんも考えていなかった私にとっては「良かった、就職出来た」と、その会社で特に夢も目標も無く、毎日楽しく働いてお給料を頂き週末友人と遊ぶ、という毎日を過ごしており、転職やその仕事をいつか辞めるという発想も無かった。

 

先輩は私が入社して1年が経った頃会社を辞めて次のステップに進んだが、まさに我々の現世はこうなのだろう。

 

その会社で終わりではなく、その会社においてベストを尽くし、その会社において学べる事を学びつくす。

 

今世で、たまたま縁があったこの肉体と、今現在の精神レベルを最大限に活用して今のベストを尽くして今生きている間に学ぶのだ。

 

死は肉体の終わりであり、魂の終わりではない。

 

魂としては続いて行くのだ。

 

今日という一日に、今回という一回に大きな変化が見えなくとも、確実に私達の経験となる。経験は我々の基礎となり土台を強化して行く。

 

毎日に忙殺される中で、今日という何の大きな意味も持って居なさそうなこの日を過ごし経験としている事も、紛れもなく自分自身が産まれる前に設定して来たプログラムなのだ。

 

 

最後まで読んで下さり感謝致します。

 

本日の写真 : 冷蔵庫の余り物で朝ごはん。パチリ。

 

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引き寄せの法則

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願望を引き寄せる為に、感謝、願い、心を快適に保つ事を毎日毎日実践している

 

甲斐あって精神的に私は非常に幸せな日々を送らせて貰っている。

 

だが物質的な引き寄せはなかなか思い描く方向に進んで行かない。

 

何故だろう。精神状態も量子力学的にも完璧なはずなのに。

 

そして気づいた。

 

私には、物質的な動きが抜けているのだと。

 

起きた事に感謝している

充足に感謝している

願い(云わばゴール)が共にある感覚で生きている

毎日笑顔で事象の笑い飛ばせる側面を見て明るく生きている

日々の一つ一つの事を楽しんでいる

 

こういった事をしているかという問いには私は自信を持ってYesと答えられる。

 

更には、私は幼少の頃から運が良い。

 

勿論ピンチもあり、思わしくない事も普通に起きたし叶わなかった事も沢山あったが、要所要所において自認している実力以上の結果を受け取る事は決して稀ではなかった。

 

それはつまり、私が守護霊軍団から守られサポートを受けているという事だ。

 

つまりつまり、私は精神的にもスピリチュアルサポートにおいても明るい道をひた走っているという事だ。

 

だが、願望実現達成において私の毎日の生活に圧倒的に足りないものがある。

 

それは「物理的努力」だ。

 

これもまた幼少の頃からの事である。

 

私には兄が一人いるが、小学校一年生の時に大人になったら〇〇になりたい、を設定し、大学2年生までその目標を見失う事無く努力をし続け、そんな兄を見て私は育った。

 

大学三年の専門でそのコースに入れなかったので残念ながら〇〇には成れなかったが今は別の職業で努力家の兄らしくそれ相応の結果を出している。

 

私は目標なくただ彼のするそのままを真似してきた。それが私の知っている全てだったからだ。

 

通常時の日々の勉強時間、試験勉強を始めるタイミング及び勉強時間増加など、兄の行動を疑問もなく遂行し、中学高校と兄と同じ学校に進学した。

 

それが努力だという事は当時の私に自覚は無かった。

 

高校生活が終わると〇〇になる為のコースのある大学に現役合格出来なかった兄は全寮制の予備校に通う為家を出て行った。

 

私はペースメーカーを失った。

 

ペースメーカーを失ってからの日々は、これもまた深く考える事無く勉強をしなくなった。

 

単純に家で勉強をしている同世代の人を見る事が無くなったからである。

 

そもそも良い成績を取りたいとかあの大学に行きたいとかの目標が無くただ兄がしているからそうするものだと思って勉強していただけの事。

 

そうこうしているうちに成績も坂道を転がる小石が如く悪くなっていった。

 

そんな私も高校が終わったら東京の大学に行って一人暮らしをする、という漠然とした希望があったのでこれはヤバい、と、自分は何をしたいのか、その為にはどこの大学の何を目指せばよいのかを初めて模索する事となった。

 

そしてその結果行先を東京のある美大に設定し、そこから逆算して町唯一の絵画教室にそれまでに貯めたお年玉を遣って通い始めた。

 

これもまた、努力だという自覚は私には無かった。

 

美大はその数の少なさから合格するには世間の人が思う以上に偏差値の高さも必要となる。

 

私は前日に見直した問題がそっくりそのまま試験に出るなど、これまた守護霊軍団のサポートを多大に受け、現役合格を成し遂げた経緯がある。

 

話を戻そう。

 

引き寄せの法則。

 

私は精神的にもスピリチュアル的にも間違えた道に進んではいない(と思う)。

 

だが、物質的な願望を達成するには、物質を物理的にその方向に変化または向かわせるための圧力(つまり努力)と、またそれを達成する為のある程度の時間が必要となる。

 

当然の事だ。

 

だが、過去の努力を努力と認識していなかった私は、願って望んだら叶ったという誤認識をしている事に、今更ながら、本当に今更ながら気づいた。

 

毎日丁寧に生きている事には100%Yesと言えるけれども、そして100%毎日が幸せに満たされていると感じているけれども、願望実現の為の物理的行動をしているかという事に100%のYesは言えない。

 

そうかー、これだったんだ。気づかなかったけど私、結構努力してきたんだな。だから今この状態にあるんだ。

 

今は精神的に幸せな日々を送っているからついつい満足してしまっているけれども物理的な願望を実現する為にそれに向かって努力を怠らない事をここに記し2024年の目標と定める。

 

さて、年末どうなっているか。

 

本日の写真 :  道端で出会ったとても綺麗な蝶々、パチリ

 

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