若いころあるお寺の早朝座禅に参加した事があります。
朝5時前京都着の深夜バスで関西に住んでいる友人に会いに行った時の事です。
私の、人生初めての瞑想でした。
とは言え、その時は清らかな早朝の空気を全身で楽しみながらも頭の中では色々な事を考えていたと思います。
そして今から9年前の2014年暮れから元夫との一度目の別居をした際に、その時毎週会っていた、私と同じような夫婦関係で悩まされていた友人と瞑想をし、そこから自身でも日常的に瞑想をするようになりました。
仏教では、呼吸に集中し続け無になる事、または、身体を隅々まで観察する事、の大きく分けて二通りの瞑想法があるようです。
そして近年では「マインドフルネス」と言う名で、「今、ここ」に意識を集中する瞑想法が有名ですね。
私は勝手ながら、それらのどれにもあてはまらない無意識の空間に足を踏み入れる事を私独自の瞑想と定義しています。
無意識の世界なので当然そこにいる間私には意識はないのですが、ふっと意識が戻った瞬間に、無意識の世界での残像を認識する事があります。
私は映像か感覚、によって残像を捉えます。
これが匂いや音や温度、なんかだと言う方もいますね。
この残像もその次の瞬間には消えてしまい、しかも私の記憶からさえも消えてしまう事も珍しくないので、あーなんか見えてた、感じてたのになんだっけ?という事はよくあります。
夢と似ていますね。
無意識世界は高次元世界だと言われています。
高次元からのメッセージは日常にも沢山散りばめられていますが、意識がありエゴがある為に気づきにくいまたは気づけないことも多いかも知れないですね。
子供や友人、仕事関係のお客様と会話またはメッセージのやりとりをしている時に、すらすらと言葉が出てきた後に、「これ高次元からだな」と気づく事が多々あります。
どう考えてもたった半世紀程の知識と経験しか持ち合わせていないこの「三次元の私」では到底出てこないような知識や考えだからです。
三次元で起きる事象に迷い悩み、決断が出来ない時は高次元からのアドバイスを求めて瞑想をするようにしています。
何年も原因不明の腰痛に悩む父に、それはもう精神から来るものである事は間違いないので瞑想をして高次元の本来の自分とつながる事を勧めています。
父には瞑想は難しい事のように感じられているようでなかなか試して貰えないのですが、生きてるうちに何とか…と、祈り続ける毎日です。
最後まで読んで下さりありがとうございます。