オリブロ

オーストラリア在住、2人の子供のシングルママ。

今日を、生きよう

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今朝、起きた時。

 

「生きてる、また今日1日過ごせる」と、思いました。

 

それに感謝しました。

 

先週、ギックリ腰をしてしまい、3日間日常生活がままならなかった私。

 

まだ痛みはあるので今朝も起き上がるまでにじっくり時間をかけました。

 

今日は今週学校のキャンプに行っていた下の子が帰ってくる日。

 

久しぶりに顔が見れる。

 

子供たちと話したり、一緒に遊んだり、食事をしたり、同じ屋根の下で過ごしたり。

 

仕事でお客さんと会ったり、友達とメッセージし合ったり。

 

好きな事をしたり、美味しいものを食べたり。

 

体験型アトラクションのように。

 

楽しもう、と思いました。

 

今は、綺麗な月に見守られながら上の子のスポーツ観戦です。

 

暑くも寒くもなく、気持ちの良い夜です。

 

今日の写真:今夜の月、パチリ

不満を持つという事、愚痴るという行為

自分は被害者であり自分に非は無く、周りが自分の意向に沿わない事が問題となっている。

 

それに自分は不満を持ち、そして愚痴る。

 

先日ママ会をした時の事です。

 

そのうちの一人のママさんが、夫と子供達の事について盛大に愚痴っていました。

 

ママ・妻歴15年前後の集団ですので、彼女の不満に対して色々なアドバイスが飛び交います。

 

が、彼女はそれら一つ一つのアドバイスに対し、それはしたけどうまくいかなかった、と答えます。

 

すると、次第にママ集団は、彼女の期待値や妥協点に対し、それらは勿論夫のそれまた夫が子供達に持って居るそれとは違うので、

 

そこを見直して調整してみるのはどうかという方向に移動して行きます。

 

ですが彼女は彼女の不満は最もであり、彼女が引いた境界線を越えて来る、

 

かつそれに対して話し合いをした所でまたは子供に罰を与えた所で家族がそこを反省して境界線を尊重するという事をしない状況に対して愚痴を言い続けるのでした。

 

とは言え、結果、夫や子供達は境界線を越えてくるのに対し、逆に家族が求める妻・母像に自分がなれるように誠心誠意応えようとしています。

 

勿論その応えようとしている事にも、それは自分の本意ではなく、家族がそれを求めるから、という理由で、そこに不満を募らせていました。

 

家族がどうであれ、彼女の中にどういった心理が起きたにせよ「応えようとする」のは「彼女が出した決断」であり、家族の決断ではありません。

 

Noと言う事で予想される衝突を避けたいから、また母としてすべきだと思っているから、色んな理由があるでしょう。

 

でもどんな理由にせよ、それは「彼女自身の決断」なのです。他人のではない。

 

そんな彼女は容姿や言動や能力など自分に対しても不満ばかりです。

 

誰がどんな意見を投げても頑なに家族の事にも、自分の事にも否定的な姿勢を崩しません。

 

しんどいだろうな、辛いだろうなと心底思いながら聞いていました。

 

以前の私自身がそうでしたので、痛い程その状況が理解出来ました。

 

主張の強い元夫、絶対に譲らない元夫。Noと言ったり従わない場合、やがて精神的DVへとそれは発展して行き、

 

その過程で私は自分に対する自信を無くして行き、自分に対してダメだしばかり、不満ばかりでした。

 

最終的に私は子供達の心身の健康を懸念し子供達を連れて元夫から離れる、という「決断」をしました。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

そう、全ては自分の決断なのです。私に於いて言えば、残るも去るも私の決断。

 

色々な事において、物事がバッチリと自分の要望に合う状況になるなど、この世で殆どと言って良い程起きる事はありません。

 

それにどうしても納得がいかないのであれば、それが「そう」なるまで諦めずにとことんこだわって押し進める決断をすれば良いのです。

 

私の元夫のように。もしかしたら家族を、家族の形を失う事になるかもしれなくても。それよりも自分の要望を叶える方が大切と思うのなら。それも決断です。

 

自分の要望に沿っては居ない状況を、妥協なり諦めなりの理由で受け入れるのであれば、それもまたそう決断すれば良いのです。

 

私のように、心身が安全ではない場合は別ですが、そうではなく、周りで起きている状況を甘んじて受け入れるという決断をしたのであれば、そこをキッパリ「良し」とする覚悟。

 

「良し」に対しては人は愚痴りませんから。

 

そうなる為にはそれを「良し」と決めたのは自分だと自覚を持つ事です。

 

自分が「良し」としたのだから、それを愚痴ったり期待したりもしない事。

 

他人に強制的に決められた、決めさせられた、のではなく、自分の決断と自覚を持つ事。

 

人間同士うまくやっていくには、自分と他人を正しく理解し、境目を上手に定める力が必要です。

 

自分の意見を押し通しても、相手の意見を受け入れすぎても、うまくはいかない。

 

そうやって周りの状況を少しずつ整理して「良し」にして行けば、いつしか毎日の生活から不満は消え、愚痴も減って精神的に楽になるでしょう。

 

その一歩目は、まず自分の自身に対するあれやこれやのダメ出しを「良し」としていく事です。

 

頑張り過ぎていませんか。自分に厳しすぎではありませんか。理想が高すぎではありませんか。等身大の自分を理解出来ていますか。

 

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人生の成功形とは

 

私達はここに何をしに産まれてきたのでしょうか。

 

人間が生きる意味とはなんでしょう、人間の一生、何をして過ごすべきなのでしょうか。

 

どんな人生を送ったら正解なのでしょう。

 

そもそも、人生に正解不正解などあるのでしょうか?

 

産まれて来て人間活動をしている私達。

 

いつかこの身体から卒業する日が来る事は100%保証されています。

 

その明日かも知れない数十年後かも知れない、でもいつか必ず終わるこの肉体と共に過ごす人生の期間を、どうすごしたら成功と言えるのでしょうか?

 

小さな頃から塾に通い、何らかの思惑によってその思惑の為に都合の良い思想を持つ国民に育て上げる為に定められた内容が盛り込まれた教科書をとにかく叩き込み、

 

それをより多く覚えてこなせると上がっていく偏差値、そしてその偏差値のより高い学校に入り、その後当然大学に行き、そして本当に人間活動をより豊かにするのに必要なものかわからないような仕事先に就職をし、

 

異性と恋愛をして結婚をして子供を産み、その子供をまた同じように偏差値の出来るだけ高い学校に将来入れる事を第一優先として環境を整え、

 

大学に進学させる為にその資金を稼ぐ、と同時に自分の家を大金を借りて持ち、更には老後の為の貯蓄をする。

 

つまりは子育てと言う人生において一番心身が稼働するであろう時期に、生活費の他に3つの目的の為に働く訳なのでめまぐるしい毎日を送る事となり、

 

老後はなるべく人に迷惑がかからないように自分の資金を充分に貯めて施設にお世話になり、

 

医療技術が向上したお陰で肉体的にも精神的にも寝てるのか起きてるのかわからないような状態で毎日一人部屋に「生かされ」、ついにその生涯を施設で閉じる。

 

近代の歴史や国や世間から刷り込まれた模範的人生とは恐らくこのようなものではないでしょうか。

 

少なくとも私は、そのようなテンプレートを当たり前のように目標として漠然とそういった人生が送れたらそれが人生の成功形だと思っていました。

 

そこから外れている人を世間は白い目で見る、という事も幾度となく見て来ました。

 

私は市内で一番の高校に進み、“当然”大学にも進み卒業しました。

 

しましたが、単位はギリギリでした。

 

大学時代に遊びまくり、授業に出なかったからです。

 

13年はバイトと遊びに明け暮れ、4年では一つでも単位を落とせば卒業は出来ないという状態でしたので単位を取り無事に卒業をする為だけに、出席をしました。

 

学びの4年間ではありませんでした。

 

特に最後の一年は、単位を取り、なんとか卒業をする為だけに焦点を合わせた生活でした。

 

そして大学の専攻とはまったく関係の無い所に、仕事内容も良くわからないままに就職をしました。

 

3年働いてまた全く違う業種に転職し、そこでまた3年働きました。

 

そしてオーストラリアに来て、元夫と出会い結婚をして2児をもうけました。

 

ここまでは、程度の差はあれ、私は親や世間から刷り込まれた人生の成功形をなんとか死守してきました。

 

そして離婚をした事でその道を踏み外しました。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

子供達も進学校ではなく、大学もおそらく行かないと思います。

 

住まいは借家で子育て資金は最低限のものしか提供できていませんし、老後の為の資金など全く用意出来る状況にありません。

 

つまり私は人生の失敗系を現在ひた走っているのでしょうか。

 

成功ってなんでしょう?失敗ってなんでしょう?

 

冒頭に書いた「人生の成功形」は、世か定義して来た事です。

 

世間がそう言っているのです。

 

では、その成功形を達成したらどうなるのでしょうか。

 

そりゃ当然、一年に一度の海外旅行なり、年に数回の温泉旅行なり、日常でちょいちょいある飲み会であったり、そんな楽しみはあると思いますが、

 

人生全体で上空から眺めた時に、この成功形はどう見えるのでしょう。

 

このレールに乗って人生を進んで行ったら、無難に「生き終える」事が出来るのかも知れませんね。

 

無難に。

 

つまりは、人間は、ここに産まれてきて約束された限られた命を全うするまでの時間を、とにかく無難に事をこなし続けて終える為に産まれて来たのです。

 

…って、そんなわけあるかー!

 

私は思う。

 

そうしたい人はそうしたら良い、とも思うしそれを否定するつもりもない。

 

人間にはそれぞれ、得手不得手があると思う。

 

生まれ持ったセンス、というがそれは前世からのキャリアを持ちこしてきたものかもしれない。

 

自分が好きなこと、どんなに時間を使って探求しても飽きないこと、出来る事ならそればかり出来る毎日だったらな、と思うこと。

 

それを人生をかけて追及する事が出来たら、そこを居場所として生きる事が出来たら、それ程幸せな事はないのではなかろうか。

 

確かに今完全に分離・物質社会として運営されている地球では、自身を養わねばならないのでバランスは必要とは思う。

 

でも、自分の心の声に耳を傾け、それを正しく理解し、今のこのシステムの中にいながらにしてその自身の生きる意味、目的に心身を委ねる事が出来たら幸せなのではと思う。

 

子供達にはそれに気づいて欲しい。そしてバランスをとりながら心身充実した人生を送って貰えたらと切に思う。

 

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裁判 証拠

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現在某お笑い芸人や某スポーツ選手の世間を騒がせている件で、彼らと被害を受けたとされる女性側との主張が真っ向から対立しています。

 

これについて思う事があったので今日はそのお話をします。

 

私もここオーストラリアで裁判をしました。数年前の話です。

 

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

 

一つは治安判事裁判所にて接近禁止命令を求めて。

 

もう一つは家裁において子供の親権その他を求めて。

 

私は小学校の頃から日記を書く習慣がありました。

 

小中高大学までそれは続き、日々のあれこれを記録に残す、という作業を身近に感じている人間です。

 

元夫との結婚生活中も、度々起こる不可解不公平非常識な事柄を、日付と共にノートやコピー用紙などに書き記していました

 

その紙(A4またはそれより大判)の束は厚みが10cmを超えます。

 

このブログでも多くはありませんがいくつか残してあります。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

また、私が理解出来ないからという理由で毎度怒鳴られるという結果になる事から、何を言っていたのかを後で理解したくて毎回「話し合い」の度にこっそりとしていた録音は、

 

家を実際に出るまでの最後の8か月においては理解する為、ではなく元夫の家での言動を記録に残す目的で元夫が在宅の時間は朝から寝るまでずっとオンの状態となっていました。

 

それら膨大な書類を、家を実際に出る前の2ヶ月間ほどかけて毎日こつこつと整理しました。

 

その中でもひどいもの、特に音源も残っているものを厳選し、申請用紙にすぐに記載できるように新しい方からの時系列で日にち、時間、前後の内容、実際の言動を事細かくタイプしておきました。

 

そして音源と文字起こししたものをセットにして保存しておきました。

 

元夫は元夫の方の主張を申請書類に記載してきます。

 

元夫の主張は曖昧で、しかも嘘も書かれていました。

 

曲がりなりにも国家機関に提出する書類なのに、嘘をこんなに堂々と書くという事に私はなにをどうしたって理解出来ませんでした。

 

私が真面目過ぎるのでしょうか?

 

元夫の主張に対しての私からの反論の書類で、

 

この〇年頃、と書かれているものは〇年ではなくその前年の何月にどこどこで起きた事です、とか、この口論の際私はこのような言動はしていません、この時の音源によると、私はこの時にこのような言動をしています、

 

などと、逐一元夫の主張の訂正をしました。

 

私の主張に対しての元夫からの反論もありましたが、私はそれらに関して私の事務弁護士に「これは嘘だ、この音源残ってるから証明出来る」等言ったのですが、事務弁護士は必要無しという事で特にアクションは起こしませんでした。

 

今考えるとですが、初めの方にたった一度だけ、一番ひどい事件の音源を事務弁護士に聴いて貰ってありましたし、警察からDV機関への紹介の事実もありましたので、

 

私の事務弁護士は双方の書類の段階で私が真実を忠実に述べていて、元夫のは信ぴょう性がない事、そして当然判事にそれが明白に伝わる事を既に理解していたのだと思います。

 

判事は原告被告を法廷で生で見たその瞬間や、電話においてYes、のその発声一つでそれぞれのその人となりを理解すると事務弁護士が教えてくれた事がありました。

 

結果を申しますと、私の証拠(音源)は使われずじまいでした。

 

というのも、治安判事裁判所の方も、家裁の方も、最後には法廷弁護士が入った段階で何かしらのアプローチがあったのでしょう、元夫は案件を法廷まで持ち込む事を諦め私からの主張を受け入れる事になったので、判事に決断をして貰う、という過程が無かったからです。

 

判事は当然ながら、弁護士の方々も真実がどこにあるのか、クライアントが言ってる事が白か黒かというのはもしかしたら一般人の私が想像する以上に明確に見えているのかも知れません。

 

ですが、だとすれば元夫の弁護士はどういう思いで仕事をしていたのでしょう。

 

元夫の弁護士も私の事務弁護士同様の知識と経験を持ち合わせているなら、書類の段階で自分のクライアントの主張が真実ではないかもしれないという事には気づいているはずです。

 

そうと知りながら、クライアントだから、お金を貰っているから、弁護をしているのでしょうか。

 

嘘と知りながら。

 

今世間を騒がせている案件も、真っ向対立をしているという事はつまり、どちらかが真実でどちらかが虚偽という事です。

 

一方が真っ白で一方が真っ黒ではないにしても、少なくとも一方が白よりのグレーでもう一方が黒よりのグレーである事は確かです。

 

そうだとすれば、どちらかは不明ですが黒よりのサイドの方は、何を思って、どういった考えでそうしているのでしょうか。

 

人として。

 

本日の写真 : 島に遊びに行ってきました、パチリ。亀が写ってるのが見えるかな〜。

 

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30年の時を経て 友の手紙

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幼少期から大学で家を出るまで育った家を売却した。

 

数年前家売却に向かって、私は山ほど置いてあった自分のモノを選りすぐり6つの段ボールに詰めて船便でオーストラリアに送った。

 

いわばこの段ボール6つが私の日本での持ち物の全て。

 

子育てに忙しくその段ボールのほとんどは届いた状態のまま長年しまっていたのだが、この年末年始、まとまった時間が出来たので意を決して整理する事にした。

 

手つかずだった箱のうちの2つ。

 

一つには、歴代の卒業アルバムとそして写真が山のように入っていた。

 

そしてもう一つの箱は、手紙。

 

アラフィフ世代。

 

高校生まで、友人とは電話と手紙が主な交流方法だった。

 

その中でも特に仲の良い友人とは交換日記や交換テープなるものをやりとりしていた記憶もある。

 

毎年の年賀状を初め、それぞれに拘りのある封筒と便せんで。

 

はたまた学校内では日常のルーズリーフやノートの切れ端を使って。

 

何ミリペンで書いたの?って位の小さな文字で小さな小さな紙の切れ端に書かれた、恐らく「オリーブちゃんにまわして」と授業中にクラス内を回ってきたのであろう秘密の手紙も沢山あった。

 

ありとあらゆる色、形、大きさ、折り方の手紙がぎゅうぎゅうと詰まっていた。

 

懐かしさで当時にタイムスリップし、戻って来るのに数日を要した。

 

そして、大変な思い違いに気づく事となった。

 

多感で未熟な時期の女の子という生き物はなんせ気まぐれで残酷だ。

 

ちょっとした事で「仲間外れ」をする。

 

そしてグループ内の仲間なのに、順番で無視をされる番が回って来る。

 

その理由は、好きな人が一緒だったから、とかそんな事。

 

くだらない事この上ない。

 

でも、そんなくだらない事があの頃は生死を揺るがすような事件だった。

 

例に漏れず、私も小学校6年、中学校3年の時に半年以上仲良しグループから無視された時期がある。

 

そして、中高で私は3人の男の子に告白し全員に振られたという輝かしい経験もある。

 

これらは私の心に強烈に刻まれ、私が私自身を判断するにあたり大きな影響を与えた。

 

私はこれまで地元での子供の頃の自分にネガティブなイメージを持って居た。

 

いつの日か、かつてのMixiで高校時代のクラスメートから急に連絡を貰った時も、10年も経ってオンライン上で発見したからと言って連絡を取ろう、と思う対象では私はないと思っていたのでとても驚いたのを覚えている。

 

今回当時の友達からの大量の手紙を読んで、人間の記憶がいかに曖昧で且つバイアスの掛かったものかという事を知る事となった。

 

私は確かに無視もされていたし、意中の男の子からはことごとく振られた。それは事実だ。

  

でも、どうやら男女問わず姐御的な感じで慕われている存在であったようだ。

 

背も高く、恵まれた身体のお陰で力が強かったせいでつけられた、なにやらもの凄く強そうなあだ名は、笑いものとしてではなくて一目置かれていたが故という方がどうやら正しいようだ。

 

学校行事をする時はことごとく中枢のポジションを任され、卒業後はクラス会やってーとお願いされるような求心力があったようだ。

 

写真はふざけてる事が多く、私が提案したのであろう団体ポーズの写真も沢山あった。

 

その本来の私になんと好意を寄せてくれていた人も複数人いたようだ。

 

このブログでも書いた事があるが、私は真面目で頼りがいのある、という自分の本性にコンプレックスを持ち、明るく華やかで守ってあげたくなるような女性に憧れていた。

 

そんな風になりたかった。

 

だから、みなから頼られ、強さに一目置かれそこそこ素敵に充実していたであろうことは肯定的に記憶には留まらず「無視された」「振られた」という強烈なイメージのみが記憶に残りネガティブなイメージとなってしまったのであろう。

 

 

若さゆえ、未熟さ故ではあるにしても、非常に勿体ない事だ。

 

今回そのほとんどは廃棄処分となった。

 

段ボール箱一箱分のその「廃棄物」は、長年の時を経て最後の最後に私の子供時代の記憶を大きくポジティブに塗り替えるという大事業を成し遂げて私の元を去っていった。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

本日の写真 :  前日道端で出会ったトカゲちゃん。とてもちっちゃくて可愛い。パチリ。

 

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不眠 更年期?

眠れるってなんて素敵!

 

お年頃の私の不眠ナイツ祭。

 

今回は5日程開催中。

 

しかも先月のコロナの後遺症なのか、1週間程前から喉より少し下の気管になんかうっっっすらと痰がへばりついて呼吸が浅い感じがする。

 

そういったわけで日中は呼吸が浅く、夜は夜で長い夜。

 

「このまま眠れなかったらどうしよう」だの「この意味不明の気管の状態が悪くなったらどうしよう」だのという思いに陥っている事に気づく。

 

2日前「そうだった、これ全て私自身がプランして来た事なんだった」と思い、ここから私は何を学んでどのように成長したら良いのだろう、という思考にシフト。

 

そしてまた、夜通し常に意識があると感じている中でも、ふと気づくと変な夢を見ている瞬間があるので浅いものの寝ていた事実を正しく理解。

 

昨夜は寝入りに時間がかかり且つ途中一度目が覚めたものの、そのあと気づいたら朝。

 

まとまった睡眠が取れた模様。

 

2年前の長い不眠の時は、脳がバッキバキに覚醒しているという感覚。

 

でも今回はそういった脳みそキラキラ状態、ではない。

 

昨夜は明るい兆しが見えたので、規則正しい生活をしながら気長に乗り越えよう。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

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個性

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第三者の目で正しく自分を見た時、自分の良い所ってどんな所?

 

先日友人と話している時に聞いた質問です。

 

友人はしばらく考えて、「なんだろう、何も出てこない」と言いました。更には、自身について目に見える物理的なマイナスポイントを言い始めたので私はそれを遮り、

 

そういう事ではなくて、貴方が貴方自身の友人だったとして、貴方のどんな所が好き、で友人としてお付き合いしてる?

 

と聞き直してみました。

 

すると友人は再度しばらく考えて、こういう所かな、と一つ言ってくれました。

 

私は「あー、なるほどね、本当だ。私それ貴方に思ってるわ」

 

と言うと、更に2点、あとはこうでこう、あたりかな…と出してくれました。

 

自分の事が好きで良い悪い含め自分の全てを100パー受け入れてる。

 

と思えない人は少なくないと思います。

 

人間は完璧ではありません。

 

そして100人居れば100通りの人間が居て、それぞれに個性があります。

 

その個性は程度によって長所短所の両面を持ち合わせて居る場合が殆どです。

 

例えば、他人から見た私の個性。

 

それは真面目・誠実・頼れる、といった部分。

 

これは長い事、私自身を苦しめて来たコンプレックスでした。

 

私にとってこの私の個性は、「つまらない・華が無い・お堅い」、という印象であり、私は「華やかで面白く軽やか」な人に憧れ、女性としては頼れるではなく「守ってあげたい」対象になりたくて、そんな雰囲気を出そうと努力をして来ました。

 

でも本来の個性は言わばその人の基礎。

 

根本がそれである為、外側で如何なる振舞いをして居たとしても、所詮はその本質がどっかりと基盤として横たわっているので、違和感を感じていました。

 

そして頑張ってそう振舞っていた時期も(いやむしろ振舞えていなかったのか?)本質は隠せるものでもなく、周りからの私への評価は変わりませんでした。

 

今ではこの本質を私の個性・長所としてきちんと理解し受け入れています。

 

私が社会から受けた恩恵をこの本質をもって社会に還元する事が、正しい形だと思っています。

 

でも、くすりと笑える、自然と笑顔になってしまうような楽しいブログを拝見すると羨ましく、いまだに激しく憧れてしまうのもまた事実です。

 

本日の写真 : 昼間芝生に寝っ転がって見上げた空、パチリ。

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

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地球の次元上昇の為に

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毎日忙しく生きていると、目の前の事に追われてトンネルビジョンとなり易く、日々の物理的な事象のみに対応し過ごす傾向になる。

 

魂に意識を向けるような余裕は無く、肉体活動に大いに偏った思考になり易い。

 

この肉体は、魂がこの3次元の地球上で物理的な活動を可能にする為の唯一の乗り物であり、色々なリミットを抱えている。

 

最大のリミットは、肉体の寿命。

 

肉体は永遠のものではなく、いつか心臓の鼓動が止まり、その時点で肉体への生命供給が途絶え間もなく終焉を迎える。

 

能力にもリミットがあり、鳥のように飛ぶことは出来ず、魚類のようにエラ呼吸で水中に生息する事も出来ない。

 

そして酸素、水分、栄養素の供給が途絶えた場合、多少の差異はあれどどの肉体も急速にその活動を終えざるを得なくなる状態に追い込まれる。

 

私は物心ついた頃からそして今も変わらずレインカーネーションを信じている。

 

特に親や周りの人間でそういう事を言っている人はいなかった。

 

自分が何故そういう思想であったのかは不明だ。

 

今は私の子供達もはっきりそれを理解していて、命にまつわる事で会話をする機会がある時に「ママの考え(レインカーネーション)だとこれはどういう事?」と聞いて来る。

 

人生100年時代、もし人生が今回の一回こっきりだとした時、私は非常に「なんてこったい」な経験をした。

 

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

 

  

これは自分自身だけでなく、私の子供達、そして両親や兄のたった一回の人生にも大きなインパクトを与えてしまった。

 

また人生が一回こっきりだったとしたら、私が思い描いていた老後の生活は決して手には入らないという結果をもたらした。

 

そう、決して。

 

だが、魂にリミットは無い。

 

肉体の終わりと共に魂は魂のみの姿に戻り、また輪廻転生を繰り返す。

 

何の為に?魂の浄化の為に。地球の次元を上げる為に。

 

人は産まれてくる時に自分の人生プランを立ててから産まれてくるという。

 

そして何歳で死ぬかも予め決めて来るという。

 

そのプランには前世のカルマの回収や魂浄化の為のプログラムが盛り込まれているという。

 

また何かのスキルに於いて来世で花開くように現世でここまでスキルアップする、等のプログラムを用意する場合もあるという。

 

私が尊敬してやまないある先輩の話。

 

今会社経営者であるその先輩との出会いは20代の頃の職場だった。

 

先輩は大学の時に、卒業したら異業種3つの会社で働き、その間人脈造りと社会勉強と準備とし、そして独立する、というプランを立て、そのうちの一つの会社で私は先輩に出会った。

 

なんも考えていなかった私にとっては「良かった、就職出来た」と、その会社で特に夢も目標も無く、毎日楽しく働いてお給料を頂き週末友人と遊ぶ、という毎日を過ごしており、転職やその仕事をいつか辞めるという発想も無かった。

 

先輩は私が入社して1年が経った頃会社を辞めて次のステップに進んだが、まさに我々の現世はこうなのだろう。

 

その会社で終わりではなく、その会社においてベストを尽くし、その会社において学べる事を学びつくす。

 

今世で、たまたま縁があったこの肉体と、今現在の精神レベルを最大限に活用して今のベストを尽くして今生きている間に学ぶのだ。

 

死は肉体の終わりであり、魂の終わりではない。

 

魂としては続いて行くのだ。

 

今日という一日に、今回という一回に大きな変化が見えなくとも、確実に私達の経験となる。経験は我々の基礎となり土台を強化して行く。

 

毎日に忙殺される中で、今日という何の大きな意味も持って居なさそうなこの日を過ごし経験としている事も、紛れもなく自分自身が産まれる前に設定して来たプログラムなのだ。

 

 

最後まで読んで下さり感謝致します。

 

本日の写真 : 冷蔵庫の余り物で朝ごはん。パチリ。

 

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引き寄せの法則

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願望を引き寄せる為に、感謝、願い、心を快適に保つ事を毎日毎日実践している

 

甲斐あって精神的に私は非常に幸せな日々を送らせて貰っている。

 

だが物質的な引き寄せはなかなか思い描く方向に進んで行かない。

 

何故だろう。精神状態も量子力学的にも完璧なはずなのに。

 

そして気づいた。

 

私には、物質的な動きが抜けているのだと。

 

起きた事に感謝している

充足に感謝している

願い(云わばゴール)が共にある感覚で生きている

毎日笑顔で事象の笑い飛ばせる側面を見て明るく生きている

日々の一つ一つの事を楽しんでいる

 

こういった事をしているかという問いには私は自信を持ってYesと答えられる。

 

更には、私は幼少の頃から運が良い。

 

勿論ピンチもあり、思わしくない事も普通に起きたし叶わなかった事も沢山あったが、要所要所において自認している実力以上の結果を受け取る事は決して稀ではなかった。

 

それはつまり、私が守護霊軍団から守られサポートを受けているという事だ。

 

つまりつまり、私は精神的にもスピリチュアルサポートにおいても明るい道をひた走っているという事だ。

 

だが、願望実現達成において私の毎日の生活に圧倒的に足りないものがある。

 

それは「物理的努力」だ。

 

これもまた幼少の頃からの事である。

 

私には兄が一人いるが、小学校一年生の時に大人になったら〇〇になりたい、を設定し、大学2年生までその目標を見失う事無く努力をし続け、そんな兄を見て私は育った。

 

大学三年の専門でそのコースに入れなかったので残念ながら〇〇には成れなかったが今は別の職業で努力家の兄らしくそれ相応の結果を出している。

 

私は目標なくただ彼のするそのままを真似してきた。それが私の知っている全てだったからだ。

 

通常時の日々の勉強時間、試験勉強を始めるタイミング及び勉強時間増加など、兄の行動を疑問もなく遂行し、中学高校と兄と同じ学校に進学した。

 

それが努力だという事は当時の私に自覚は無かった。

 

高校生活が終わると〇〇になる為のコースのある大学に現役合格出来なかった兄は全寮制の予備校に通う為家を出て行った。

 

私はペースメーカーを失った。

 

ペースメーカーを失ってからの日々は、これもまた深く考える事無く勉強をしなくなった。

 

単純に家で勉強をしている同世代の人を見る事が無くなったからである。

 

そもそも良い成績を取りたいとかあの大学に行きたいとかの目標が無くただ兄がしているからそうするものだと思って勉強していただけの事。

 

そうこうしているうちに成績も坂道を転がる小石が如く悪くなっていった。

 

そんな私も高校が終わったら東京の大学に行って一人暮らしをする、という漠然とした希望があったのでこれはヤバい、と、自分は何をしたいのか、その為にはどこの大学の何を目指せばよいのかを初めて模索する事となった。

 

そしてその結果行先を東京のある美大に設定し、そこから逆算して町唯一の絵画教室にそれまでに貯めたお年玉を遣って通い始めた。

 

これもまた、努力だという自覚は私には無かった。

 

美大はその数の少なさから合格するには世間の人が思う以上に偏差値の高さも必要となる。

 

私は前日に見直した問題がそっくりそのまま試験に出るなど、これまた守護霊軍団のサポートを多大に受け、現役合格を成し遂げた経緯がある。

 

話を戻そう。

 

引き寄せの法則。

 

私は精神的にもスピリチュアル的にも間違えた道に進んではいない(と思う)。

 

だが、物質的な願望を達成するには、物質を物理的にその方向に変化または向かわせるための圧力(つまり努力)と、またそれを達成する為のある程度の時間が必要となる。

 

当然の事だ。

 

だが、過去の努力を努力と認識していなかった私は、願って望んだら叶ったという誤認識をしている事に、今更ながら、本当に今更ながら気づいた。

 

毎日丁寧に生きている事には100%Yesと言えるけれども、そして100%毎日が幸せに満たされていると感じているけれども、願望実現の為の物理的行動をしているかという事に100%のYesは言えない。

 

そうかー、これだったんだ。気づかなかったけど私、結構努力してきたんだな。だから今この状態にあるんだ。

 

今は精神的に幸せな日々を送っているからついつい満足してしまっているけれども物理的な願望を実現する為にそれに向かって努力を怠らない事をここに記し2024年の目標と定める。

 

さて、年末どうなっているか。

 

本日の写真 :  道端で出会ったとても綺麗な蝶々、パチリ

 

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オーストラリア年越し

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明けましておめでとうございます。

 

元来イギリスからの移民が原住民アボリジニを押しのけて占領した(言い方!)ここオーストラリア、今ではかなりの多重籍国家となりそれぞれの国籍の方がそれぞれの文化を守りながら生活をしています。

 

が、キリスト教が過半数を占めている為かクリスチャン文化が色濃く年に一度の家族親族の集まりはクリスマス。

 

そして年明けは各主要都市部でニューイヤーの花火が上がり、多くの人が観に行きます。

 

ニューイヤーズディ(元旦)は祝日の為全国的にお店が閉まりますが、2日からは普通の日常に戻ります。

 

正月三が日実家に家族親戚が集まり、おせちを食べ朝から飲んで初詣に出掛け…という日本のお正月文化、本当に良いですよね。懐かしいです。

 

2023年、急にまた始めたブログですが、少しずつ訪問して下さる方が増えて本当にうれしいです。

皆さまにとって2024年が心身健康で平和な一年となります事を、心よりお祈り申し上げます。

 

本日の写真 : お餅の代わりにお団子作ってお正月気分、パチリ。

 

本年も宜しくお願い申し上げます。

 

2024.元日

オリーブ

 

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パラレルワールド

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以前マンデラエフェクトについて書いた事があります。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

年齢も住んでる地域もバラバラの多数の人間がある事について共通の誤認識をしているという現象ですが、これはスピリチュアル視点では、過去に違うパラレルワールドに居たからと言われています。

 

あるAという過去についてBと思っているこの多数の人々は、Bが本来真実であったパラレルワールドから今このラインに移動して来ているそうです。

 

宇宙には沢山の世界が同時に存在していて、私達が何を想い、どういう判断を下し、どういった行動をするかによってそれに伴った世界へと瞬間瞬間で移動しているとも言われています。

 

私は数か月前にパラレルワールドを行き来している感覚を体験しました。

 

それは下の子が参加する学校の音楽祭だったのですが、今年音楽を始めたばかりの学年のグループ、自分の子も友達の子も出ていないパフォーマンスを観ていた時の事です。

 

ふと、前のめりで頭でリズムを合わせながら笑顔でパフォーマンスを楽しんでいる自分に気づいた時に、以前は知っている子が居ない、しかもビギナーのつたない(しばしば背中がかゆくなるような不協和音を奏でる演奏)グループがパフォーマンスしている時、積極的な興味もわかずにただのノイズとしてその時間をやり過ごしてたな、と思ったのです。

 

すると、その瞬間にステージが突然無機質になり、私とステージの間になにか壁を感じ、伝わって来る音に心が調和しない感覚になったのです。

 

それはまるで、今目の前で見えているものがまるっきり別のものにでもなってしまったような感覚でした。

 

なにこれ面白い、と思った私は、もう一度元の前のめりで頭でリズムを合わせながら笑顔で音そのものを楽しんでいた自分に感覚を戻しました。すると音もステージもキラキラと躍動しているのを感じるのです。

 

何度か行ったり来たりし、それが不思議過ぎて面白すぎて、でも隣に座っていたのがグランパ(元夫の父)だったので「ちょっとー!!聞いて!」と興奮してシェアする事も出来ず。

 

今これを書いているこの瞬間も、上の子の熱帯魚の水槽で同じ事が出来ます。四角い中で何かがチラチラ動いているガラスの水槽ですが、そこに意識を沿わせると一匹一匹の動きやその子達の感覚、何やら自分自身が水槽の中に居るかのような一体感を感じます。

 

その違いを表現するのなら、「頭で理解する」と「心で感知する」というような違いでしょうか。

 

これは木や空、はたまた洗濯機などに対しても同じです。

 

そして、心で感知して居る時は安心感や豊かさを感じます。物理的にも胸の筋肉がリラックスし、深呼吸もし易い感じがします。

 

友人にこの話をした所そんな感覚になった事は無いし、やってみようとしてもわからない、と言われました。

 

そこで、無機質なコンクリートを10秒見て貰った後すぐ色鮮やかな花を見て貰い、心に何かの変化を感じるか試して貰いました。

 

すると「あーなんとなくわかる気がする。花を見た瞬間の心がなんか緩むと言うか広がるというか」と言っていました。

 

微かなモノかも知れません。もの凄く集中しないと感じないくらいの。でもこの感覚に気づき、そっちの世界を選んで生活するようになると確実に毎日の生活は心地よくなると思います。

 

今家を見渡してみても、家という無機質な存在として見るのと、私を安全に守ってくれているモノとして見るのとでは同じ物体がこうも違うのかと思う程暖かく柔らかく感じます。

 

モノも事象もどうせ同じものであるなら、心が繋がっている方のパラレルワールドを選んで、心地よく毎日を過ごしたいですね。

 

今日はコンクリートとピンクのお花の写真を並べてみました。

 

皆さんも是非試してみて下さいね。

 

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孤独

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 先日シングルママの友人の一人と久しぶりに会って話をした。

 

来年末で高校を卒業する一人娘との二人暮らしで、私よりも少しお姉さんの彼女。最近不安感にひどく苦しんでいると言う。

 

きっと更年期のせいも多大にある事だろう。

 

と同時に、高校を卒業したら娘ちゃんはいよいよ自立へと本格的に進んで行く、もしかしたら家を出て行く事だって予想される。きっとそれも有ると言う。

 

子供が家を巣立って行ったら。

 

それは今までのようなキャンプやお泊りや父親の家に遊びに行ったり、という簡易的な不在ではないのだ。数日または数週間不在でまた帰って来る、でもない。

 

恐らくもう二度と子供と「一緒に住む」事は無いのかもしれないのだ。

 

私は4年ちょっと前に子供達を連れて家を出た。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

今は裁判も終わり離婚も成立し、子供達は私と住み、隔週末父親の家で過ごす。学期間の休暇もきちんとアレンジメントが決まっていて、2週間ちょっと子供が不在となる時期が年に二回ある。

 

子供達の居ない夜にとてつもない孤独感を感じる事が何度もあった。

 

初めはビールを飲みながら仲の良い友人と他愛も無いチャットをして寂しさを紛らわせていた。

 

そしてある夜にふと、今孤独耐性の心の筋トレをしているのだ、と思った。

 

トレーニングを続ければゆっくりと筋力がついていくが如く、心も繰り返しのトレーニングできっと強くなる。今私はこの孤独を紛らわすのではなくしっかりと感じ、それにじっと耐えその感覚を覚え、少しずつ孤独に耐える力を養っているのだ、と。

 

そうして独りで孤独を味わっていると、思った通り孤独を感じはするもののずぶずぶと奥深く埋もれて行かないようになって行った。そして孤独の時間をじっと耐え忍ぶのではなくこの時間に何かしたいと思うようになっていった。

 

つまり孤独に退屈をし始めたのだ。

 

ちょっとでもやりたいな、と思う事に片っ端から手を付けていき、やがていくつかのものが残った。

 

音楽や書や精神世界の探求。仕事にまつわる勉強。

 

自分のやりたいこと、に時間を使う事こそが自分の人生に輝かしい光と栄養を与える。これはむしろ孤独でないと心行くまでは浴びる事が出来ない光の粒子と言っても過言ではない。

 

そして、もし子供達が巣立ち、私独りで生きて行くのだと想像してみると、日々自分のやりたい事をし、毎日の生活をじっくり丁寧に味わい、自身の身体と心に栄養を与え、その上で人と関わり合って生きて行く、という人生の完成形が想像の域ながらそこに見える。

 

いずれ、且つ確実に来るそんな日々。今はまだ期限付きのおひとり様時間を毎回有意義に過ごすトレーニングをしながら、その時に備えよう。

 

本日の写真 : 庭のフランジパニ

 

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旅の終わり

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昨日オーストラリアに戻ってきました。

 

今回は前半は私と上の子は発熱で寝ていて解熱してからも身体が本調子ではなかったので健康であることの有り難さを再確認出来た旅でした。

 

当初計画していた事はほぼ叶いませんでしたが、病院に行く程悪化せず、帰りの飛行機も乗れるだけの体力が回復したのは本当に有難い事でした。

 

出かける事があまり出来なくても欲しいものはちゃっかりネットショッピングでgetしてきました。今日本では金木犀ブームらしく、色んな金木犀グッズが出ていて金木犀好きの私はシャンプーとお香、それに友人から頂いたハンドクリームと、大好きな金木犀の香りをそこここで感じられて幸せいっぱいです💓

 

帰りの国際線は降下の時にいつも気持ち悪くなってしまう下の子も酔い止めのおかげで大丈夫でした。

 

コロナ中を考えるとこうやってまた海外に飛んで行けるようになって嬉しいですね。

 

大寒波の前に日本を脱出してきましたが、ここオーストラリアの私が住んでいる地区はここから一週間雨だそうでかなりの降雨量が予測されているようです。

 

また日常に戻ります。

 

本日の写真は、下の子が撮った帰りの飛行機の窓から。パチリ。

 

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湯治旅

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たっぷり4日間かけてようやく床上げをし、上の子も私から1.5日遅れで罹患してギリギリ回復して、昨日は家族9名で鬼怒川温泉へ。

 

温泉を満喫して今日は日光にも足を伸ばし、チラチラと雪の歓迎も受け楽しい旅行となりました。

 

日本の温泉文化は素晴らしいですね。限られた場所を譲り合い、丁寧な利用が当たりに身についている大人達。小さなお子さんも温泉でのマナーを心得ていて、皆さんが思い思いに快適に過ごしている空間に身を置かせて頂いているだけで自然と顔が綻んでしまいました。

 

温泉だけではありませんね。日本を離れて暮らしていると、日本人の民度の高さに感動すら覚えます。国を離れていても、こうありたいものです。

 

本日は鬼怒川からの帰り、車窓より。

 

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絶賛インフル中(訂正:多分コロナ)

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子供達と一緒に帰省中ですが、インフルエンザに罹ってしまいました。

 

38.4℃から39.2℃くらいをウロウロしています。2週間前にオーストラリアの株ですが注射は打ってきました。効いてるのでしょうか?

 

喉が痛くて冷たいものが気持ちが良いので大好きな白くまを買ってきて貰いました。

 

皆様もお気をつけ下さいね。

 

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