オリブロ

オーストラリア在住、2人の子供のシングルママ。

人生の成功形とは

 

私達はここに何をしに産まれてきたのでしょうか。

 

人間が生きる意味とはなんでしょう、人間の一生、何をして過ごすべきなのでしょうか。

 

どんな人生を送ったら正解なのでしょう。

 

そもそも、人生に正解不正解などあるのでしょうか?

 

産まれて来て人間活動をしている私達。

 

いつかこの身体から卒業する日が来る事は100%保証されています。

 

その明日かも知れない数十年後かも知れない、でもいつか必ず終わるこの肉体と共に過ごす人生の期間を、どうすごしたら成功と言えるのでしょうか?

 

小さな頃から塾に通い、何らかの思惑によってその思惑の為に都合の良い思想を持つ国民に育て上げる為に定められた内容が盛り込まれた教科書をとにかく叩き込み、

 

それをより多く覚えてこなせると上がっていく偏差値、そしてその偏差値のより高い学校に入り、その後当然大学に行き、そして本当に人間活動をより豊かにするのに必要なものかわからないような仕事先に就職をし、

 

異性と恋愛をして結婚をして子供を産み、その子供をまた同じように偏差値の出来るだけ高い学校に将来入れる事を第一優先として環境を整え、

 

大学に進学させる為にその資金を稼ぐ、と同時に自分の家を大金を借りて持ち、更には老後の為の貯蓄をする。

 

つまりは子育てと言う人生において一番心身が稼働するであろう時期に、生活費の他に3つの目的の為に働く訳なのでめまぐるしい毎日を送る事となり、

 

老後はなるべく人に迷惑がかからないように自分の資金を充分に貯めて施設にお世話になり、

 

医療技術が向上したお陰で肉体的にも精神的にも寝てるのか起きてるのかわからないような状態で毎日一人部屋に「生かされ」、ついにその生涯を施設で閉じる。

 

近代の歴史や国や世間から刷り込まれた模範的人生とは恐らくこのようなものではないでしょうか。

 

少なくとも私は、そのようなテンプレートを当たり前のように目標として漠然とそういった人生が送れたらそれが人生の成功形だと思っていました。

 

そこから外れている人を世間は白い目で見る、という事も幾度となく見て来ました。

 

私は市内で一番の高校に進み、“当然”大学にも進み卒業しました。

 

しましたが、単位はギリギリでした。

 

大学時代に遊びまくり、授業に出なかったからです。

 

13年はバイトと遊びに明け暮れ、4年では一つでも単位を落とせば卒業は出来ないという状態でしたので単位を取り無事に卒業をする為だけに、出席をしました。

 

学びの4年間ではありませんでした。

 

特に最後の一年は、単位を取り、なんとか卒業をする為だけに焦点を合わせた生活でした。

 

そして大学の専攻とはまったく関係の無い所に、仕事内容も良くわからないままに就職をしました。

 

3年働いてまた全く違う業種に転職し、そこでまた3年働きました。

 

そしてオーストラリアに来て、元夫と出会い結婚をして2児をもうけました。

 

ここまでは、程度の差はあれ、私は親や世間から刷り込まれた人生の成功形をなんとか死守してきました。

 

そして離婚をした事でその道を踏み外しました。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

子供達も進学校ではなく、大学もおそらく行かないと思います。

 

住まいは借家で子育て資金は最低限のものしか提供できていませんし、老後の為の資金など全く用意出来る状況にありません。

 

つまり私は人生の失敗系を現在ひた走っているのでしょうか。

 

成功ってなんでしょう?失敗ってなんでしょう?

 

冒頭に書いた「人生の成功形」は、世か定義して来た事です。

 

世間がそう言っているのです。

 

では、その成功形を達成したらどうなるのでしょうか。

 

そりゃ当然、一年に一度の海外旅行なり、年に数回の温泉旅行なり、日常でちょいちょいある飲み会であったり、そんな楽しみはあると思いますが、

 

人生全体で上空から眺めた時に、この成功形はどう見えるのでしょう。

 

このレールに乗って人生を進んで行ったら、無難に「生き終える」事が出来るのかも知れませんね。

 

無難に。

 

つまりは、人間は、ここに産まれてきて約束された限られた命を全うするまでの時間を、とにかく無難に事をこなし続けて終える為に産まれて来たのです。

 

…って、そんなわけあるかー!

 

私は思う。

 

そうしたい人はそうしたら良い、とも思うしそれを否定するつもりもない。

 

人間にはそれぞれ、得手不得手があると思う。

 

生まれ持ったセンス、というがそれは前世からのキャリアを持ちこしてきたものかもしれない。

 

自分が好きなこと、どんなに時間を使って探求しても飽きないこと、出来る事ならそればかり出来る毎日だったらな、と思うこと。

 

それを人生をかけて追及する事が出来たら、そこを居場所として生きる事が出来たら、それ程幸せな事はないのではなかろうか。

 

確かに今完全に分離・物質社会として運営されている地球では、自身を養わねばならないのでバランスは必要とは思う。

 

でも、自分の心の声に耳を傾け、それを正しく理解し、今のこのシステムの中にいながらにしてその自身の生きる意味、目的に心身を委ねる事が出来たら幸せなのではと思う。

 

子供達にはそれに気づいて欲しい。そしてバランスをとりながら心身充実した人生を送って貰えたらと切に思う。

 

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