朝起きたらご先祖様へのお供えのお水をかえて感謝のお祈りをし、ドリップしたコーヒーと一枚のビスケットをお供にパソコンに向かい、ブログを書きます。
座っている左側に窓があり、朝陽が差し込んで来ます。
この時間が本当に贅沢で満ち足りた至福の時間です。
自身の睡眠が取れた事そして起きれた事、コーヒーとビスケットを美味しいと思える事、思考を巡らせ出て来た文字を文章にする事、子供達が健康ですやすやと寝ている事、全てに感謝です。
家の中を見渡しても、全てが満ち溢れています。
たとえ一週間洗濯をしなかったとしてもまだ着る服があります。
一週間買い物に行かなかったとしても食い繋ぐだけのなにかしらの食料があります。
家族それぞれに個人の部屋が持てています。
水道をひねれば水が出て、好きな時にお湯のシャワーも浴びれます。
寒ければ暖を与えてくれるヒーターやスペアの布団があり、暑ければ涼を与えてくれる扇風機やエアコンもあります。
子供達は日常を自力で過ごせる健康体を持ち、二か国語を使います。
ぶつけたりこすったりの後は沢山あるものの、どこかに連れて行ってくれる車もあります。
楽器や画材道具、運動用具もあります。
そして生活するのに必要な収入を得る為の仕事があり、人生を分かち合う友人がいます。
不足を探すのが困難な程、充足に満ち溢れています。
若い頃の私は充足に光を当てる事をせず、不足に目を向ける人間でした。
自分がどんなに恵まれた状態であるかも理解せずに。
というよりも、もはや「充足」という概念なと知りもしなかったと言った方が正しいかと思います。
そのまま年数を重ねた私は、アスペルガー症候群である元夫と出会い結婚し、最悪と言える形で終焉を迎えました。
不足に目を向ける私と、自分の思考のみしか肯定しない元夫。
上手くいくはずがありません。
ですが、元夫との経験からお金では決して買う事の出来ない、しかも人生を最高に豊かにする学びを得ました。
私単体としては元夫との一連の経験も含めて過去全てに感謝です。
「人生いろいろ」あります。
人は生まれてくる前にその人生プランは既に決まっていて、それを承知で産まれてくると言われています。
何の為に? 魂を浄化する為だそうです。
それぞれの人のそれぞれの精神性の高さに合った苦悩や試練を設定してあるので、そこは他人のそれと比べる必要はありません。
過去の全てが今の私を創り、そして今日これからが未来の私を創っていく。
中年の私はこれから高齢に向かって前進していくのみですが、今日もまた充足に感謝し、陽の光や鳥の鳴き声、心地よい風に感動して過ごしたいと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございます。