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「オリーブちゃんは一緒にウォーキングしている時にこの花が綺麗、とか空が青い、とかあのおばあちゃん素敵、とか私が目に留めもしない事に注意を向けるよね」とある友人から言われました。
私はいちいち幸せで楽しいんですね。綺麗なものを観たり素敵な音を聴いたり良い香りに触れたり美味しいものを好きな人と一緒に食べたり、そんな事に心が跳ね、幸せと思います。
勿論物質面でややこしい事は起きます。気持ちが揺れる事や落ちる事だって当然あります。人間活動ですから。
でも生活が出来ていて幸せ、子供達が健康で幸せ、一人でゴロゴロしていて楽しい、子供達と一緒に遊びに出かけて楽しい、などは勿論の事、トイレに蓋さえついてる事にも有難くて感謝の想いに溢れます。
こうやって日々大半の時間を自分の好きな事をしながら過ごせる毎日なんてもう、夢かと思う程ラッキーだなと実感しています。
その友人は、家族や生活に不満があるわけでは決してない、でもだからと言って幸せだな、楽しいなと感じる事もない、と言います。
幸せの定義は人によりますね。
この友人は子供想いで稼ぐ旦那さんが居て、持ち家で、子供達も優秀で、古代邪馬台国の言葉で言えば「人生の勝ち組」です。
彼女自身も人気者でいつも明るくとてもチャーミングで私も憧れる大好きな方です。
数か月のシェルター生活を終えて賃貸を借りてそこに移り住んで1週間程経った頃、毎日怒鳴られない、怒られない、否定されない生活を送っている事に幸せ過ぎて罪悪感さえ感じました。
そして、元夫との親権裁判中には子供達が4か月実子連れ去りされて会えなかった事もありました。
過去の経験は私の心を破壊しました。そしてゼロから再構築してきました。いわば新型オリーブなのです。
昨日は別の友人に「オリーブちゃんの在り方、心の持ち方が羨ましい」と言われました。「そういう風に言われる事結構あるんだけど…じゃぁ私と同じ経験をしたくはないでしょ?」と聞いたら「それは…そうだねぇ。そっか、あんなことやこんなことやそんな事があったからこそ今のオリーブちゃんに辿り着いたんだもんねぇ」と言っていました。
私は、これから何年生きて行くかわからないのですが(みんなそう)、私自身として生きていくにも、愛する子供達にとっても、また有難い事に元気で存命の産み育ててくれた両親にとっても、残りの人生をこの新オリーブとして生きて行ける事はかけがえのない宝だと思っています。
あの経験が無かったら私はトイレの蓋に感謝して心が震えるなどという人間ではなかったでしょう。
私達の人生を一枚の絨毯に例えると、全てがあっての今。どの一部分も今更切り取ったり燃やしたりして無いこととして扱ってしまったら、そこに穴が開きその穴から糸がほつれてみるも無残になってしまいます。
ある一部分の糸がその部分だけで見ると暗く単調で模様もない何の面白味のないものだったとしても、全体で見るとその暗い箇所がある事で、模様や他の明るい糸が美しく映えるのです。
全ての経験が今の私や貴方を創っている。そして、今日明日明後日と私達はまたこれからも糸を重ねて行くのです。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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