こんにちは、オリーブです。今日もブログを覗きに来て下さりありがとうございます。
昨日は仕事が終わって友人と飲みに行ってきました。
オーストラリアに来てすぐ出会って意気投合し、共に生きて来たという感じの大切な人との時間はとても楽しくあっという間でした。
このブログでは長年元夫からの精神的DVに気づかず私が悪いと耐えた末、子供達への加速する執拗な精神的圧力と物理的暴力から子供達を守る為にDVシェルターに逃げ込んだ実録を記載しています。
初めまして、の方、どうぞこちらからお読み下さい ↓ ↓ ↓
さて、「うちにも起きた、実子連れ去り」を間に挟んだので、中断していた「DVで家を出、単独親権を勝ち取る迄の道」を再開します。
前回のお話を忘れてしまった方、復習にどうぞ(笑) ↓↓↓
調停はビデオで行われました。私に事務弁護士、元夫にも一人リーガルエイドから弁護士がつき、双方の間に調停人がついて、約2時間程度のミーティングでした。
一番初めに事務弁護士が画面に映り軽くミーティング、そのあと画面半分に調停人が映って挨拶をし、実際に調停が始まると画面はオフになり、事務弁護士が調停人を挟んで元夫の弁護士と会話をしてきてくれ、戻って来て私とミーティングをし、また画面がオフになり話をしに行ってくれる、という手法でしたので元夫側の顔も声も聴くことはありませんでした。
調停というのは、「双方がどこまで妥協出来るか」の場でした。
ですが私は母として、子供達の心身の安全、そして子供達の将来への影響にしか興味はありません。
当然大人のいない家で3人でいる生活も心配でしたし、洗脳も実際にされていましたのでそれも心配でしたが、なによりも将来子供達を元夫のような思想を持った大人にはしたくないというのが唯一のこだわりポイントでした。人間は一緒に過ごす人のエネルギーに多大に影響を受けます。子供なら尚更です。
その為には、出来得る限り子友達が元夫と過ごす物理的な時間を押さえる事が重要でした。
でも調停では元夫側が主張している事を多少は飲まねばなりませんでした。事務弁護士は調停においてただひたすらになにも受け入れずつっぱねると裁判においての私の印象に響く、とコンコンと説明してくれ、少しではありますが、元夫の言い分を受け入れて子供達の元夫との時間が少し増える事となりました。
私は、子供達が元夫のような思想を学んでしまい元夫のような生き方をするようになってしまった時、その将来をあなた方誰一人として責任持てないでしょう?今までの元夫の所業を見て来たでしょう?なのにこの語に及んで子供と父親との時間を増やそうなんて思う母親がどこにいる?と心で思いながら対応していました。
ともあれこうして調停は少しの歩み寄りで少しの変化をもたらしたのみで終了し、その結果と、及び連れ去りの全容についての報告書も当然提出され公判が行われました。
その結果6か月後にトライアル(2日程かけてお互い弁論し合い、最終結果を出す日)の日程が言い渡されました。
家を出てから2年が経っていました。
DVで家を出、単独親権を勝ち取るまでの道 ⑲ に続く
最後まで読んで下さりありがとうございます。