毎日忙しく生きていると、目の前の事に追われてトンネルビジョンとなり易く、日々の物理的な事象のみに対応し過ごす傾向になる。
魂に意識を向けるような余裕は無く、肉体活動に大いに偏った思考になり易い。
この肉体は、魂がこの3次元の地球上で物理的な活動を可能にする為の唯一の乗り物であり、色々なリミットを抱えている。
最大のリミットは、肉体の寿命。
肉体は永遠のものではなく、いつか心臓の鼓動が止まり、その時点で肉体への生命供給が途絶え間もなく終焉を迎える。
能力にもリミットがあり、鳥のように飛ぶことは出来ず、魚類のようにエラ呼吸で水中に生息する事も出来ない。
そして酸素、水分、栄養素の供給が途絶えた場合、多少の差異はあれどどの肉体も急速にその活動を終えざるを得なくなる状態に追い込まれる。
私は物心ついた頃からそして今も変わらずレインカーネーションを信じている。
特に親や周りの人間でそういう事を言っている人はいなかった。
自分が何故そういう思想であったのかは不明だ。
今は私の子供達もはっきりそれを理解していて、命にまつわる事で会話をする機会がある時に「ママの考え(レインカーネーション)だとこれはどういう事?」と聞いて来る。
人生100年時代、もし人生が今回の一回こっきりだとした時、私は非常に「なんてこったい」な経験をした。
これは自分自身だけでなく、私の子供達、そして両親や兄のたった一回の人生にも大きなインパクトを与えてしまった。
また人生が一回こっきりだったとしたら、私が思い描いていた老後の生活は決して手には入らないという結果をもたらした。
そう、決して。
だが、魂にリミットは無い。
肉体の終わりと共に魂は魂のみの姿に戻り、また輪廻転生を繰り返す。
何の為に?魂の浄化の為に。地球の次元を上げる為に。
人は産まれてくる時に自分の人生プランを立ててから産まれてくるという。
そして何歳で死ぬかも予め決めて来るという。
そのプランには前世のカルマの回収や魂浄化の為のプログラムが盛り込まれているという。
また何かのスキルに於いて来世で花開くように現世でここまでスキルアップする、等のプログラムを用意する場合もあるという。
私が尊敬してやまないある先輩の話。
今会社経営者であるその先輩との出会いは20代の頃の職場だった。
先輩は大学の時に、卒業したら異業種3つの会社で働き、その間人脈造りと社会勉強と準備とし、そして独立する、というプランを立て、そのうちの一つの会社で私は先輩に出会った。
なんも考えていなかった私にとっては「良かった、就職出来た」と、その会社で特に夢も目標も無く、毎日楽しく働いてお給料を頂き週末友人と遊ぶ、という毎日を過ごしており、転職やその仕事をいつか辞めるという発想も無かった。
先輩は私が入社して1年が経った頃会社を辞めて次のステップに進んだが、まさに我々の現世はこうなのだろう。
その会社で終わりではなく、その会社においてベストを尽くし、その会社において学べる事を学びつくす。
今世で、たまたま縁があったこの肉体と、今現在の精神レベルを最大限に活用して今のベストを尽くして今生きている間に学ぶのだ。
死は肉体の終わりであり、魂の終わりではない。
魂としては続いて行くのだ。
今日という一日に、今回という一回に大きな変化が見えなくとも、確実に私達の経験となる。経験は我々の基礎となり土台を強化して行く。
毎日に忙殺される中で、今日という何の大きな意味も持って居なさそうなこの日を過ごし経験としている事も、紛れもなく自分自身が産まれる前に設定して来たプログラムなのだ。
最後まで読んで下さり感謝致します。
本日の写真 : 冷蔵庫の余り物で朝ごはん。パチリ。
⬇️宜しかったら応援お願い致します⬇️