オリブロ

オーストラリア在住、2人の子供のシングルママ。

オーストラリア年越し

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明けましておめでとうございます。

 

元来イギリスからの移民が原住民アボリジニを押しのけて占領した(言い方!)ここオーストラリア、今ではかなりの多重籍国家となりそれぞれの国籍の方がそれぞれの文化を守りながら生活をしています。

 

が、キリスト教が過半数を占めている為かクリスチャン文化が色濃く年に一度の家族親族の集まりはクリスマス。

 

そして年明けは各主要都市部でニューイヤーの花火が上がり、多くの人が観に行きます。

 

ニューイヤーズディ(元旦)は祝日の為全国的にお店が閉まりますが、2日からは普通の日常に戻ります。

 

正月三が日実家に家族親戚が集まり、おせちを食べ朝から飲んで初詣に出掛け…という日本のお正月文化、本当に良いですよね。懐かしいです。

 

2023年、急にまた始めたブログですが、少しずつ訪問して下さる方が増えて本当にうれしいです。

皆さまにとって2024年が心身健康で平和な一年となります事を、心よりお祈り申し上げます。

 

本日の写真 : お餅の代わりにお団子作ってお正月気分、パチリ。

 

本年も宜しくお願い申し上げます。

 

2024.元日

オリーブ

 

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パラレルワールド

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以前マンデラエフェクトについて書いた事があります。

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

年齢も住んでる地域もバラバラの多数の人間がある事について共通の誤認識をしているという現象ですが、これはスピリチュアル視点では、過去に違うパラレルワールドに居たからと言われています。

 

あるAという過去についてBと思っているこの多数の人々は、Bが本来真実であったパラレルワールドから今このラインに移動して来ているそうです。

 

宇宙には沢山の世界が同時に存在していて、私達が何を想い、どういう判断を下し、どういった行動をするかによってそれに伴った世界へと瞬間瞬間で移動しているとも言われています。

 

私は数か月前にパラレルワールドを行き来している感覚を体験しました。

 

それは下の子が参加する学校の音楽祭だったのですが、今年音楽を始めたばかりの学年のグループ、自分の子も友達の子も出ていないパフォーマンスを観ていた時の事です。

 

ふと、前のめりで頭でリズムを合わせながら笑顔でパフォーマンスを楽しんでいる自分に気づいた時に、以前は知っている子が居ない、しかもビギナーのつたない(しばしば背中がかゆくなるような不協和音を奏でる演奏)グループがパフォーマンスしている時、積極的な興味もわかずにただのノイズとしてその時間をやり過ごしてたな、と思ったのです。

 

すると、その瞬間にステージが突然無機質になり、私とステージの間になにか壁を感じ、伝わって来る音に心が調和しない感覚になったのです。

 

それはまるで、今目の前で見えているものがまるっきり別のものにでもなってしまったような感覚でした。

 

なにこれ面白い、と思った私は、もう一度元の前のめりで頭でリズムを合わせながら笑顔で音そのものを楽しんでいた自分に感覚を戻しました。すると音もステージもキラキラと躍動しているのを感じるのです。

 

何度か行ったり来たりし、それが不思議過ぎて面白すぎて、でも隣に座っていたのがグランパ(元夫の父)だったので「ちょっとー!!聞いて!」と興奮してシェアする事も出来ず。

 

今これを書いているこの瞬間も、上の子の熱帯魚の水槽で同じ事が出来ます。四角い中で何かがチラチラ動いているガラスの水槽ですが、そこに意識を沿わせると一匹一匹の動きやその子達の感覚、何やら自分自身が水槽の中に居るかのような一体感を感じます。

 

その違いを表現するのなら、「頭で理解する」と「心で感知する」というような違いでしょうか。

 

これは木や空、はたまた洗濯機などに対しても同じです。

 

そして、心で感知して居る時は安心感や豊かさを感じます。物理的にも胸の筋肉がリラックスし、深呼吸もし易い感じがします。

 

友人にこの話をした所そんな感覚になった事は無いし、やってみようとしてもわからない、と言われました。

 

そこで、無機質なコンクリートを10秒見て貰った後すぐ色鮮やかな花を見て貰い、心に何かの変化を感じるか試して貰いました。

 

すると「あーなんとなくわかる気がする。花を見た瞬間の心がなんか緩むと言うか広がるというか」と言っていました。

 

微かなモノかも知れません。もの凄く集中しないと感じないくらいの。でもこの感覚に気づき、そっちの世界を選んで生活するようになると確実に毎日の生活は心地よくなると思います。

 

今家を見渡してみても、家という無機質な存在として見るのと、私を安全に守ってくれているモノとして見るのとでは同じ物体がこうも違うのかと思う程暖かく柔らかく感じます。

 

モノも事象もどうせ同じものであるなら、心が繋がっている方のパラレルワールドを選んで、心地よく毎日を過ごしたいですね。

 

今日はコンクリートとピンクのお花の写真を並べてみました。

 

皆さんも是非試してみて下さいね。

 

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孤独

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 先日シングルママの友人の一人と久しぶりに会って話をした。

 

来年末で高校を卒業する一人娘との二人暮らしで、私よりも少しお姉さんの彼女。最近不安感にひどく苦しんでいると言う。

 

きっと更年期のせいも多大にある事だろう。

 

と同時に、高校を卒業したら娘ちゃんはいよいよ自立へと本格的に進んで行く、もしかしたら家を出て行く事だって予想される。きっとそれも有ると言う。

 

子供が家を巣立って行ったら。

 

それは今までのようなキャンプやお泊りや父親の家に遊びに行ったり、という簡易的な不在ではないのだ。数日または数週間不在でまた帰って来る、でもない。

 

恐らくもう二度と子供と「一緒に住む」事は無いのかもしれないのだ。

 

私は4年ちょっと前に子供達を連れて家を出た。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

今は裁判も終わり離婚も成立し、子供達は私と住み、隔週末父親の家で過ごす。学期間の休暇もきちんとアレンジメントが決まっていて、2週間ちょっと子供が不在となる時期が年に二回ある。

 

子供達の居ない夜にとてつもない孤独感を感じる事が何度もあった。

 

初めはビールを飲みながら仲の良い友人と他愛も無いチャットをして寂しさを紛らわせていた。

 

そしてある夜にふと、今孤独耐性の心の筋トレをしているのだ、と思った。

 

トレーニングを続ければゆっくりと筋力がついていくが如く、心も繰り返しのトレーニングできっと強くなる。今私はこの孤独を紛らわすのではなくしっかりと感じ、それにじっと耐えその感覚を覚え、少しずつ孤独に耐える力を養っているのだ、と。

 

そうして独りで孤独を味わっていると、思った通り孤独を感じはするもののずぶずぶと奥深く埋もれて行かないようになって行った。そして孤独の時間をじっと耐え忍ぶのではなくこの時間に何かしたいと思うようになっていった。

 

つまり孤独に退屈をし始めたのだ。

 

ちょっとでもやりたいな、と思う事に片っ端から手を付けていき、やがていくつかのものが残った。

 

音楽や書や精神世界の探求。仕事にまつわる勉強。

 

自分のやりたいこと、に時間を使う事こそが自分の人生に輝かしい光と栄養を与える。これはむしろ孤独でないと心行くまでは浴びる事が出来ない光の粒子と言っても過言ではない。

 

そして、もし子供達が巣立ち、私独りで生きて行くのだと想像してみると、日々自分のやりたい事をし、毎日の生活をじっくり丁寧に味わい、自身の身体と心に栄養を与え、その上で人と関わり合って生きて行く、という人生の完成形が想像の域ながらそこに見える。

 

いずれ、且つ確実に来るそんな日々。今はまだ期限付きのおひとり様時間を毎回有意義に過ごすトレーニングをしながら、その時に備えよう。

 

本日の写真 : 庭のフランジパニ

 

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旅の終わり

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昨日オーストラリアに戻ってきました。

 

今回は前半は私と上の子は発熱で寝ていて解熱してからも身体が本調子ではなかったので健康であることの有り難さを再確認出来た旅でした。

 

当初計画していた事はほぼ叶いませんでしたが、病院に行く程悪化せず、帰りの飛行機も乗れるだけの体力が回復したのは本当に有難い事でした。

 

出かける事があまり出来なくても欲しいものはちゃっかりネットショッピングでgetしてきました。今日本では金木犀ブームらしく、色んな金木犀グッズが出ていて金木犀好きの私はシャンプーとお香、それに友人から頂いたハンドクリームと、大好きな金木犀の香りをそこここで感じられて幸せいっぱいです💓

 

帰りの国際線は降下の時にいつも気持ち悪くなってしまう下の子も酔い止めのおかげで大丈夫でした。

 

コロナ中を考えるとこうやってまた海外に飛んで行けるようになって嬉しいですね。

 

大寒波の前に日本を脱出してきましたが、ここオーストラリアの私が住んでいる地区はここから一週間雨だそうでかなりの降雨量が予測されているようです。

 

また日常に戻ります。

 

本日の写真は、下の子が撮った帰りの飛行機の窓から。パチリ。

 

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湯治旅

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たっぷり4日間かけてようやく床上げをし、上の子も私から1.5日遅れで罹患してギリギリ回復して、昨日は家族9名で鬼怒川温泉へ。

 

温泉を満喫して今日は日光にも足を伸ばし、チラチラと雪の歓迎も受け楽しい旅行となりました。

 

日本の温泉文化は素晴らしいですね。限られた場所を譲り合い、丁寧な利用が当たりに身についている大人達。小さなお子さんも温泉でのマナーを心得ていて、皆さんが思い思いに快適に過ごしている空間に身を置かせて頂いているだけで自然と顔が綻んでしまいました。

 

温泉だけではありませんね。日本を離れて暮らしていると、日本人の民度の高さに感動すら覚えます。国を離れていても、こうありたいものです。

 

本日は鬼怒川からの帰り、車窓より。

 

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絶賛インフル中(訂正:多分コロナ)

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子供達と一緒に帰省中ですが、インフルエンザに罹ってしまいました。

 

38.4℃から39.2℃くらいをウロウロしています。2週間前にオーストラリアの株ですが注射は打ってきました。効いてるのでしょうか?

 

喉が痛くて冷たいものが気持ちが良いので大好きな白くまを買ってきて貰いました。

 

皆様もお気をつけ下さいね。

 

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怒りのメカニズム

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まだまだ感情のメカニズムが理解出来ていない下の子ですが、昨夜上の子のデバイスを借りて戦いもののゲームをしていた時の事です。

 

上の子のデバイスには一日のゲーム時間のリミットを設定してあるので下の子が結構良い感じで戦っていた時にリミットに達し、ロックがかかってしまったとの事。

 

私の所に来て、文句を言い始める下の子。

 

実際の会話は

 

「せっかく良かったのにママのせいで終わっちゃった」

 

ママのせい、ではないね、スクリーンタイムが理由だね、と私。

 

「なんでスクリーンタイムなんてかけるの?!」

 

ずうっとゲームをしないようにだよ、と私。

 

「〇〇(お友達)の家ではスクリーンタイムなんてかけてないのに!」

 

〇〇はお母さんがやめなさい、と言ったらすぐにやめるもんね。上の子は6年生の時にママが物理的にデバイスを取り上げるまでやめられなかった事が何度もあったでしょう?だからスクリーンタイムをかける事にしたんだよ、と私。

 

ここまで会話した後は下の子は中身の無い誹謗中傷を始めたので、

 

なにが目的で今それを言ってる?ただ文句を言いたい、怒りを放出したいだけなら、その怒りはママが原因ではないし、ママはその怒りを浴びる義務はないので違う方法で怒りを発散しておいで。

 

と言い、以後は一切反応しませんでした。

 

下の子は2~3分程何か言い続けましたがそのあとは黙ってしばらくそこで寝っ転がっていました。そして7分程経つと

 

「ママごめんなさい」

 

と言いました。

 

何に対してごめんなさいと言ってるの?と聞くと

 

「怒ったから」

 

と。

 

何に怒ったの?と聞くと

 

「ゲームが途中で終わったから」

 

ゲームが終わっちゃった時にどう感じた?と聞くと

 

「すごくイライラした。せっかく勝ってたのに残念だった。」

 

じゃぁその残念だった、または寂しかった、悔しかった、というのが第一感情かな?と聞くと同意しました。

 

 

 

 

私は子供達に、怒りは第二感情であり、怒りの前には必ず第一感情があって、それが怒りの原因であり、そこを理解せず怒りの矛先を自分の外に向けて当てても何にも解決しない、という事を常日頃から伝えています。

 

 

 

 

今回ゲームで勝っていたのにスクリーンタイムという「事象」が起きたせいでゲームが終わってしまい、「自分の要望が叶わなかったという事に対する残念で寂しい気持ち」が怒りの原因だという事を一緒に掘り起こしました。

 

そして、要望が叶わなかった、という事はもう起きてしまった事で、それに対して気持ちの落とし所をどこにしたら良いと思う?と聞くと、

 

「また次がある」、「今度の時はゲームする前にリミットを確認して少なかったらママに相談する」、「仕方ない」

 

という答えを導き出しました。

 

そして勿論人間ですので怒りは抱きますしそこには何の問題も無い事、ただその沸き起こる怒りを周りの人やモノに投げつけてはいけない、という事をいつものように言及しました。

 

怒りの感情は精神の排泄物。健康の為に排泄物は出さねばなりません。でもそれを他人に投げつけてはいけません。

 

上の子が下の子位の歳だった時もやはり私がロックをかけたから、と文句を言っていましたが、中学1年生も半分過ぎた頃には「うーーー!!!!ゲーム調子良かったのにスクリームタイムのリミットのせいで終わっちゃったーー!!!」と言う表現で自分のイライラを表現するようになりました。

 

そんな時私は、それは残念だったね、と言ってそれまでどんな風にうまくいっていたのか、という質問をして良かった部分に注目させるようにしています。

 

下の子も段々となんとなく、前に進んでいるようで、有難い事です。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。


本日の写真 : 大好きな地元の缶ビール🍺🤗

 

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中学生 自分でお洗濯

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南半球は今夏に向かってまっしぐら。連日30度超えの暑い日が始まりました。

 

明日でオーストラリアの公立校は今年度終了(私の住んでいる州です)、明後日から夏休みに入ります。

 

上の子のハイスクールでは今週は暑い為、制服ではなく体操着で登校して良いという通達が来ました。

 

少し前に上の子が自ら部屋を片付け初めて、自分で洗濯をした話をしました。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

2着しか持ってない体操着、月火着たら終了ですが案の定月曜は脱いだものを自室の床に脱ぎ散らかしていたので火曜の洗濯で洗われませんでした。

 

火曜の夜に上の子に「明日の体操着ないでしょう?洗濯した方が良いんじゃないの?」と声を掛けたらなんとなんと…

 

「もう洗ったよ」

 

との事。

 

へっ?

 

「いつ洗ったの?」と私。

 

「帰って来てすぐ」と上の子。

 

私が下の子を学校に迎えに行って外で用事を済ませて帰って来るまでの間に帰宅した上の子は、すぐに体操着を自分で洗濯して干していたのです。

 

何と言う事でしょう!!

 

つい2週間程前に母の洗濯営業時間内に間に合うように出せなかったものは自分で洗濯しなさい、と言ったばかり。もう理解してるなんて!

 

足の踏み場もない部屋のままで何週間も過ごす事が苦では無い上の子は、前回ブログでお話したお部屋の片づけをして以来、大層に散らかすという事はまだしていません。

 

人は進化・成長していくものですね。

 

 

本日の写真は昨日子供達と一緒に庭の手入れをした際に下の子が拾ってプレゼントしてくれたお花です。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

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発達障害の元夫との結婚・家族生活が破綻しDVになっていくまでの考察

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私は離婚をしました。

 

結果的にひどい形で終焉を迎えた元夫と私の結婚生活でしたが、元々は若い男女の恋愛結婚でした。

 

私は右ならえ精神を母のお腹に入る前にどこかで落っことして来てしまったので、100人居れば99人が茶髪だった時代に黒髪ストレートだったり、異性に対しても群衆から飛び出てる人に対して魅力を感じる傾向にありました。

 

なので、ザ・アスペルガーの奇想天外な元夫の言動が私にとって魅力的に映ったのが今となってはよく理解できます。

 

結婚当初の若い未熟な私は、「自分が思う不足」にスポットを当てる人間でした。

 

その思考から、私が理想とするパートナー像に足りてない元夫の部分、周りのご夫婦が持っていて自分達にはないもの、を探し見つけてそれにより心を乱されていたのです。

 

一方元夫は白か黒しか感知出来ない脳を持ち、自身の思考以外は全て黒、という世界に生きている人でした。

 

しかも奇想天外な思考の。

 

そして、自分が黒とみなしたもの(大抵は一般世間の常識、でした)を理解は当然の事、受け入れる事すらしない人でした。

 

私は不足を満たす事が出来れば…元夫は黒を白にすれば…と思っていたのです。

 

私も元夫も相手に成長を求め、相手に原因と責任を押し付けるという思考で日々を過ごしました。

 

自分の精神性を見つめ成長させる事に取り組む代わりに。

 

そして好き合って一緒になったはずの夫婦の関係はどんどん悪化していきました。

 

なんとかしようと2年に渡り7人もカウンセラーを変えて夫婦のカウンセリングを受けもしました。

 

私は一人目のカウンセラーに会い始めた時から精神学に興味を持ち、独自で少しずつサイコロジーを学ぶようになりました。

 

そして割と早い段階で、「変えられるのはこの世でたったひとつ、自分のみ」という文言に辿り着くのです。

 

自分から産まれ出て来た子供であっても変える事は出来ない。ましてやパートナーは他人、尚更変える事など出来ないのです。

 

どんな本にも、「自分が変われば、相手もかわる」と書いてありました。

 

私はなんとか夫婦関係を良くしようと、自分を変えていく事に集中するようになって行きました。

 

どのカウンセラーも、最後は元夫とのみ対峙するセッションとなりました。私はその部屋には居てもカウンセラーと元夫が話しているのを黙って見ているだけ。

 

交互に受けていた私の個人セッションでは、カウンセラーが私に「どうやったら元夫に届くか」という話しかしなかった回もあります。

 

そして、そうなると元夫は「このカウンセラーは何の助けにもならない。」と行くのをやめてしまいます。

 

私はと言えば、元夫が持つ理想の妻像に近づこうと自分を変え続けました。

 

少しずつ関係は改善していくものの、劇的に変わる事はないまま7人目のカウンセラーとのセッションに終止符を打ち、望みはなくなりました。

 

そして全てをし尽して、最後の最後「これをやるか離婚かなら離婚」と思っていた程の、私にとって究極の項目に関しても最後の望みでそれをする事を選択しました。

 

これでダメならもう打つ手がないから離婚しようと。

 

するとみるみる夫婦関係が良くなり始めました。2年に及ぶカウンセリングは何だったのでしょう。

 

元夫はその私にとって究極の項目に至るまで全て100%私が元夫の思う通りに言動する事で機嫌が良くなり、そして元夫の機嫌が良いので私のストレスも減って行きました。

 

このまま夫婦関係は改善の一途を辿っていくものだと思いました。最高でした。

 

自分のしたい事自分の興味自分の好み自分の心地良い事は全て箱の中にしまいカギをかけて、元夫が思う通りに、やりたいように、快適なようにという主軸に沿って生きる私の毎日でした。最後の砦さえも空け渡して。

 

その状態は2~3か月程続き、次第にある事が顕著に見えてきました。

 

私自身の想い、願望、心地良さなど、少しでも私のそういった事を優先すると夫婦関係は途端に悪くなるのです。

 

そう、夫婦の片一方しか「変えられるのは自分だけ」という概念を持てなかった私達の結婚生活が成り立つ条件はたった一つ、私が私を生きる事を諦め元夫の求める妻像を完璧に演じる事だったのです。

 

そして私は全てを元夫の望む形態の私を保つ事にしだいに疲れて行きました。

 

確かに初めは元夫の機嫌が良いので私のストレスは減りましたし、なんて素敵な毎日だろうと思いました。

 

ですが元夫は”元夫が望む妻像“に向けてどんどん進化していく私に対して、もっともっととハードルを上げ、細部に至っても1ミリも違わず完璧な元夫の理想の妻を望み続けたのでした。

 

それは調教という言葉がしっくりくるであろう状態でした。

 

私はゴールが見えたらまたそのゴールが延ばされる事の繰り返しで限界値を超えてしまったのです。

 

普段の文章や言葉のチョイスも逐一直され、元夫の望むように一言一句違わず言い換えるまで何度も言い直しを要求されました。

 

朝起きてから夜寝るまで私の思考は「元夫が私のこの言動、この判断に対してどう評価するだろうか」に常にフォーカスが当たっていました。

 

子育てなどままなりませんでした。

 

子供本人に一つ指導をするのも、子供の事で先生と一言話すのも、全て「元夫がどう思うか?」に注意を配っていました。

 

でもどんなに進化しても元夫の脳と私の脳は別モノなので、完全にマッチする事はありません。

 

ましてや超白黒しかないアスペルガーの元夫です。

 

なにをしてもやっても、細かい部分をこうすべきだったと言われました。

 

24時間言動だけでなく思考も全てを元夫の望む妻になろうと捧げているのに合格点は出ない、私が望む夫像を元夫に言えば喧嘩になるので一切言わずで、私の心は疲弊して行き、しだいに24時間100%の努力が保てなくなって行きました。

 

それと比例して元夫の機嫌は坂道を転がるように悪くなって行きました。

 

そこにプラスして、その頃丁度上の子がそれまでのようには親の言う事を聞かなくなる年齢に入った事で反抗するようになり、夫婦関係で抱えきれないストレスを常に抱くようになった元夫は、子供達に、特に上の子に過度の暴力をふるうようになって行きました。(それまでも手は挙げていましたが、明らかに理性を完全に欠き怒りに任せて手を挙げるようになり、子供も何度も怪我をしました)

 

しつけと言う名の。

 

そして、私は子供達を連れて家を出る決意をしました。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

元夫は、それがアスペルガーやナルシシストの性質だからなのかわかりませんが、今もなお自分の思想や意見と違うものを受け入れる事はしません。

 

元夫の唯一の同年代の友人の、政治に対する思想が気に入らず、去年からその友人と会うのをやめてしまったと子供達に聞きました。

 

この経験を通して、自分が変われば必然的に相手も変わる、とよく書いてありますが、「但し、例外も有り」という注意書きが必要だと強く注意喚起します。

 

今私は毎日幸せです。自分を生きています。

 

今日の写真 : 2023年11月 スーパーブルームーン

 

とても長くなってしまいました。最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

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育てにくい子

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オーストラリアは今卒業シーズンです。

 

何とか無事に小学校卒業を迎える我が家の下の子は学校でも3本の指に入るトラブルメーカーでした。

 

この小学校時代に学校からかかってきた電話の回数は群を抜いてぶっちぎりの一等賞であろうと自負しています(誇るな)。

 

ですが、何人ものママ友から、我が家の下の子がママ友の子をお友達トラブルから守ってくれた、とか、相手を止めてくれた、やり返してくれた(これはどうなんだ?)という話をこの6年で沢山聞いたのも事実です。

 

またある時、有り得ない態度をとる特別科目の先生に生徒達が言葉の暴力を受けていた事がありました。とは言え相手は先生なので子供達はそれぞれ家では親に文句を言うもののクラス内ではただ耐えていたのですが、とうとううちの下の子が標的になった日、下の子は即座に強い口調で皆の前で言い返したのです(ちなみに私はこの先生の事も、下の子が言い返した事も知らず、ママ友から「今日下の子大丈夫だった?」と言うメッセージがいくつも来て初めて知りました)。すると先生は授業を放棄してクラスから出て行ってしまい、残された生徒達はとうとう爆発し、調査が入って先生が解雇となる事件もありました。

 

ブラボー、下の子。

 

長所と短所は表裏一体。

 

我が家の下の子は気が強く、長いものに巻かれない、相手が誰であろうと間違えている事に対して立ち上がる気質を持って居ます。だから大人から見たら間違えていても本人が正しいと思っている事や、学校で大概の子供達が黙って受け入れる多少の理不尽な事も、我が家の下の子は反抗する事が多々ありました。

 

下の子を操るには大型特殊免許が必要です。普通免許では上手く運転出来ないのです。

 

えぇ、決して育て易い子、ではありません。

 

小学校一年目の担任の先生が「この子は大人が正しく指導したら良いリーダーになる。でも間違えると大問題児になる」とおっしゃっていました。

 

まさに。

 

下の子にはその気質は最大の武器だから大事にするように、でも同時にその武器を使うか使わないか、またどの程度発動させるかを学生生活で周りの反応を見ながら学ぶように、そしてもし周りに理解されなくてもどう考えても立ち上がるべきだと自分が思う場面では自信を持って立ち上がるように、母はあなたを信じてるという事を伝えています。

 

子供達が何かをやらかした時、私は怒りも声を荒げもしません。ただ平らかに指導し続けます。

 

何故なら、こっちがボルテージをあげたらそれと同じまたはそれ以上に向こうもあげて来ますし、こちらが投げた怒りやイライラのエネルギーを仕返しの理由として利用されてもしまうからです。

 

自身が取った選択と行動に伴う結果(もしも間違えた行動をした場合の結果に対して”罰”という言葉は使いません)を提示して、後は本人に任せます。

 

最終的に嫌な結果になってしまった時は下の子は怒り出します。時にはその結果を提示した母に向かって「言ってはいけない言葉」を吐く事も。(それにも当然それ相応の結果が伴う事を子供達も理解しています)

 

私は流れを説明し、その上で”あなた自身が選択した行動を取った”ことによってこうなった事をただ伝え、あとは何を言われようが放っておきます。

 

かつては怒りを爆発させていた上の子はもう中学生なので、爆発する前に部屋に行ってしまいますが、下の子はまだまだ理解が出来ず感情に流されます。

 

怒りやストレスが溜まって行っている状況を冷静に観察する事が出来ていないので、当然これ以上溜まると爆発する、というレベルも理解していません。結果溢れてしまった怒りやストレスを周りにぶつけてしまいます。

 

ですが、2年前は落ち着くのに4時間も5時間も要していた下の子、最近は怒りをぶちまけて自室に籠り、ほんの20分程度で「ごめんなさい」と出て来るようになりました。

 

何がいけなかったかを説明して貰い、その時の下の子の心の動きを振り返って貰い、どうしたら良い結果に繋がったか、を導き出して貰い、そうする為には早い段階で気持ちの変化に気づく必要があるという事を毎回伝えます。

 

上の子も小学校時代は同じような感じでしたので、あと数年で下の子も自分の感情に寄り添う事が出来るようになる事を期待しています。

 

所で、卒業おめでとうのビデオチャットをしてくれた私の母、こんな下の子についての話をしたら…

 

「あんたみたいじゃない。学校はハマらないかもしれないけど社会に出れば大丈夫よ」

 

の一言でした(笑)。

 

写真は下の子が撮ったものです。パチリ。

 

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

 

自分の価値

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あなたの価値は何ですか?

 

あなたはどういう人間で、どういう事が得意で、人はあなたのどういう所に惹かれますか?

 

そのあなたの価値をあなたは存分に社会に還元していますか?

 

 

私は私の人生にはおそらく無くてはならなかった経験をしました。

(良かったら読んで下さいね ↓ )

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

この経験を経て、自分自身とは何ぞや、自分の生きる価値とは何ぞや、と自分と徹底的に向き合う作業をしました。

 

 

 

誰しもこんな人間でありたいなという理想がある(あった)と思います。

 

私は喋るか喋らないかの2択だと喋る、明るいか暗いかの2拓だと明るい、元気かおとなしいかの2拓だと元気、とカテゴライズされる人間です。

 

高校時代に黒髪さらさらロングのおとなしい綺麗な友達がいました。ものすごく憧れました。小学校から日記をつけていた私は元旦に毎年今年の目標や意気込みを書いていましたが、そこによく登場したのが「おしとやかに。あまり喋らない」 でした。

 

達成した覚えはありませぬ()

 

おしとやかで喋らないキャラになるは諦め、次に、ランチやパーティーの計画を立てる時オリーブのスケジュールをまず押さえようと思われるような、一緒に居て楽しい華やかな人になりたいと思いました。

 

実際の私はと言うと?

 

ド真面目で物事を深く掘り下げて考察する事を好み、なにか困った事や心配な事がある時に真っ先に頭に浮かぶ人。責任感があり信頼するに値する人、という立ち位置にいると認識しています。

 

ピチピチの若かりし頃に受けた愛の告白で、ある殿方から「一緒に居て安らぐとか全く無い、むしろ逆に(オリーブの存在が)プレッシャー。でも、めちゃくちゃ信頼出来る」と表現された事があります。

 

華やかで軽やかが理想だった私はそんなお堅くて面白くない面を一生懸命隠していたつもりでしたがだだ漏れですね。

 

信頼に値する女性よりも楽しいから一緒に居たい、と思われる女性で居たいです。困った時に頼られるのではなくランチに誘われたいです()

 

でも、これが真の私です。

 

 

 

 

 自分の価値。

 

それはもしかしたら一見これまでの人生で、マイナス要素だと認識されてきたものかも知れません。それ故自分の「嫌いなところ」かも知れません。

 

でも物事には必ず表と裏があります。嫌いと思っているのはそれを裏からのみ見ているからかも知れません。

 

そしてまた、自分が持ち合わせていないものを理想とするが故、理想の自分から遠い為に好きではない部分かも知れません。

 

十人十色。法律を駆使する人も必要だし、釘をまっすぐ打てる人も必要。医療の発達に貢献する人も必要だし、芸術で人の心を救う人も必要。大きなモノを運べる力持ちも必要だし、頭脳だけで物事を解決出来る人も必要。毎日同じ作業が出来る人も必要だし、新しい事にチャレンジ出来る人も必要。

 

全てに価値があります。

 

20代の頃は自分の気質をなるべく表に出さないように、そして理想の自分に近づけるように振舞って生活していた私。

 

それもまた自分でしたが、今はこの気質を自分の価値として社会のお役に立てるように、いつでも周りの皆さんに認知して頂けるように目立つ様にぶら下げて歩いています。

 

ただ華やかで軽やかな理想の自分もこの後に及んでもやはり捨てがたく…いつかそんな自分に出会える日を夢見てあがきもがき続けで行くのであろう事は否めません。

 

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

人の目が気になる…

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先日友人と話していた時の事です。

 

その方は色々と気にしてくよくよと悩む性格で、それが娘さんにも受け継がれていると感じている、と言っていました。

 

私は子供の頃、失敗や恥をかいた事について何日も何週間も思い返してあーでもないこーでもないと思い悩んでいた子でした。

 

好きな男の子に話しかけられて慌ててしまった、とか、授業中先生に当てられて答えた答えが間違えてた、とか、部活の時に下手くそなプレーをしてしまった、とか。

 

学校近くのビーチで友人と放課後バーベキューをしようと、私が先に行って一人で竹筒を吹きながら火をおこしていた脇をビーチに走りに来ていたサッカー部が走り抜けて行った瞬間など、穴があったらそこに永住したいとはまさにあの事。

 

そんな10代を過ごしていたある夜突然、「あんな事してしまって恥ずかしかったって思っている今この瞬間、○○ちゃんや〇〇ちゃんは “オリーブちゃんたらあんな事してはずかしい~” なんて、大切な時間を私如きの為に割いて考えている訳がない」って事に気づいたのです。

 

みんなが私の一挙手一投足にいつまでも想いを馳せるなどと思ってる事が自信過剰も甚だしいと。事実私自身が自分の事を考える事で精一杯だと言うのに。

 

それに気づいてからは、何かやっちまった日に凹んででしまいそうになる度にこの事を何度も自分に言い聞かせ、だんだん気にしないようになって行きました。

 

今でもやっちまう事は多々ありますが、ごめんね言い方が悪かった、とか冗談だよ、とかアフターフォローはしますがその後はお相手がこう思うんじゃないか、嫌われたらどうしようと思い悩むというレベルまでには至りません。

 

もし仮にオリーブちゃん失礼だわ、ちょっと彼女とは合わないわ、と思わせてしまったのだとしたら、それは純正の私の言動ですから全て自分の責任。真正面から襟を正して受け止めます。

 

「人の目が気になる」というのは言葉こそ「人の目」であっても、その実情は自分による判断・評価です。

 

他人は何とも思っていないかも知れないのに「自分が」それを失敗とみなして自分を責めたり思い悩んだりしているのですよね。

 

だって、私がどなたかに何かやっちまっても、それをそのどなたかがどうジャッジしてるかというのは未来永劫不明なんですから。

 

そのどなたかに「今やっちまいましたよね、私。どう思いました~?」なんて聞いても、ド本音で意見を言って下さるとは到底思えません。

 

つまり、自分の言動に対して「やっちまった認定」を下しているのは他でもない、自分自身“のみ”です。

 

結婚する前、アジア人10名くらいと3年程シェアハウスで生活していた時に、韓国人の男の子にこんな事を言われました。

 

「日本人は確かに礼儀正しくて人当たりが良い。でも、多くの場合で、本音じゃないでしょう?勧めた食事をありがとう美味しかったとほめてくれて、実はそれが嫌いだった、とか、とてもフレンドリーにしていたのに実はその人の事好きじゃない、とか。僕は日本人は好きだけど、日本人の当たり障りのない対応は好きじゃない。NoならNoと言ってくれる方が僕は好きだな。韓国人はストレートで気が強いとか言われる事多いけど、少なくとも日本人よりは正直だ。」と。

 

これには「ほほぅなるほど」、と思ったもんです。礼儀正しくフレンドリー、日本人最強じゃんと思っていたけど、それそのものが好きじゃない、と思う人も居るという事に。

 

そしておっしゃる通り、韓国人えれー失礼な事ズバっと言うなぁと思ったりもしましたが、少なくともその韓国人のシェアメイトからしたらその方が好ましいと。

 

そう。つまりは100人居たら同じ自分でも全ての人から好意的に思って貰える事は絶対にないのです。絶対に。

 

「私は人に迷惑をかけないように、嫌な気持ちにさせないように気を付けて生きてるけど、その私なりに気を付けてる状態そのものを不快と感じる人も実は世の中いるわけで。」

 

友人にこのお話を例に出して言うと、小粒ながらも友人の思想に一石を投じたようで、何か新しい所に辿り着けそうな気がする、と言っていました。

 

今日はそんな友人との初ランチです。

やっちまわないように気をつけつつ、ありのままの自分で参りましょう。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

ご連絡;

12月よりブログのタイトルをオリブロに変更致します。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

4年前の今日、子供を連れて家を出た。

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こんにちは!オリーブです!!

 

今日も元気です。

 

昨日の満月、綺麗でしたね。下の子が写真を撮ってくれました。

 

12月よりブログのタイトルをオリブロに変更する事にしました。

オリーブのブログ、略してオリブロです(←単純)。

 

 

もともと7年も8年も前に、当時一緒に暮らしていた元夫との「いやどう考えてもおかしいだろ?」な日常を記録しておこうと書き初め、気力がある時だけ更新していたブログでした。(当時は”夫はアスペルガー”だったと思います)

 

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

 

ブログの事もよくわからない状態で、人に読んでもらおうと思って立ち上げたものではありませんでしたが、どこか頭の隅に誰かの目に留まる可能性のある家の外の世界に書置きをしておきたかったという気持ちが無かったかと言えば嘘になります。

 

 

 

なんやかんやの末、ちょうど4年前の今日家を出ました。今これを書いているのはちょうどお昼ですが、4年前の今頃は普通の朝を過ごして家族をそれぞれ送り出し、荷物を車に詰め家を出て、住宅街で車を停めてシェルターを手配してくれる所に電話をし、場所が決まったら連絡が行きますと言われてほっとした所でしょうか。

 

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

 

 

あれから4年。

 

初めのうちは半年生存出来たからこれからの半年は保証された、1年暮らしてこれたからこれからの1年は問題ない、などと何の根拠も無い理由で何とか自分の未来について安心しようとしていました。

 

 

救急車で運ばれた事も数回、手持ちの現金の総額が10万円を切って眠れなかった夜もあります。自分を消さなきゃ、と言う思いに駆られてヤバいヤバいと思った夜もあるし、ぶっ倒れて数週間全く日常生活がままならなかった時は全てを諦めて単身日本に帰国する最悪の事態も覚悟しました。私が悪者なのだと元夫が子供達を洗脳し、結果実子連れ去られで4か月子供達が帰って来なかった事もあります。

 

 

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

 

 

そんな私を友人や家族を初め、学校の先生方、ケースワーカーやカウンセラーの皆さん、弁護士や裁判官の皆さんが支えて下さり、ここまで来る事が出来ています。

 

子供達は家を出る前はパニック障害を起こし、学校では別人のようになってしまったと言われ、夜は眠れず、家に帰るのが怖いという劣悪な環境から、今は安全にブーブー文句を言いながらふざけたり笑ったり怒ったり泣いたりできる環境で生活しています。

 

なんとも有難い事です。

 

残念な事ではありますが、今後も男女問わずこういった経験をされる方はいなくはならないでしょう。

 

ここに記した私の経験が、そんなお辛い経験をされている方にとっての道標になればと思います。

 

そして希望になればと思います。明けない夜はないのです。

 

私達の結婚生活の終焉は、元夫の脳の特性もさる事ながら、でも確実に私自身の未熟な精神が複雑に絡み合って辿り着いた結果です。

 

元夫の脳の特性のみを悪者にしていた過去の自分とはいつしか決別しました。

 

元夫には幸せになって欲しいと願います。全てを、自分の感情さえも丸ごと全て自分の責任として請け負ったら人はみんな幸せになれる。幸せは他人やモノが与えてくれるものではなく、自分が決断するもの。

 

自分は幸せ、と決めたらその人は幸せなのです。誰がなんと言おうと。どんな環境であろうと。

 

私はまだ元夫と一緒に暮らしていた時期に「私は幸せ。なぜなら~」という「幸せワーク」を毎日していました。

 

なぜなら~の後に無理やりでも何かを付け加えます。

 

コーヒーが味わえて幸せ

友達と夜ジョギングしながらお喋り出来て幸せ

パソコンで世界とつながる事が出来て幸せ

今夜寝る所があって幸せ

 

全て当時なぜならの後に付け加えていた理由です。

 

同じように、自分が不幸、と思おうと思えばいくらでも理由を挙げる事が出来ますね。どうせ一ミリも違わず同じ環境・状況の瞬間に身を置いているのであれば、「幸せ~」と思って生活した方がお得ですよね。

 

雨が降ってきました。結構な雨です。

 

洗濯物乾かないな、ジメジメして嫌だな…ではなく、乾いた大地に恵の雨だ…明日の草花を見るのが楽しみ♪ と思いましょう。

 

 

 

こんな私のブログに出会って下さりありがとうございます。

未だに手探りで好き勝手な事を書いて楽しんでいるので読み辛い事が多々あると思いますが、少しずつ勉強して読みやすくしていけたらと思っています。

 

 

安全で穏やかな一日をお過ごしくださいませ。

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

子供のお稽古

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今日は朝から子供のスポーツのトレーニング。

 

を、観ながら私は優雅にコーヒータイムです☕️

 

普段は朝1杯ですが、子供のスポーツの日はフィールドで1杯飲んで良いことにしています。

 

屋外で子供達からダダ漏れしてくるエネルギーのお裾分けを感じさせて頂きながらのトレーニング見学。

 

心が洗われポジティブエネルギーで満たされる感覚がして終始顔がニヤついてしまいます(怪しい事この上ない)。

 

オーストラリアでは、スポーツのお稽古は平日にトレーニングをして週末に練習試合、と言うのが定番。

 

これは小学校もハイスクールも変わらず、日本のように学校で部活、とかそういうものはありません。

 

スポーツ枠でハイスクールに入る子は授業中や朝練放課後練習もあるようですが、基本的には地域のスポーツクラブに所属して活動します。

 

子供がこうして元気にスポーツが出来る事、コーヒーを買うお金がある事、こんな優雅な時間が持てる事、有難い限りです。

 

所で今、向こうから歩いてきた女性が私に笑顔で手を振ったので、知り合いか…??と思いつつ控えめに笑顔で手を振ったら見事に彼女と私の延長線上に居た方への挨拶でした。

 

あー恥ずかしい🤣

 

マンデラエフェクト

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マンデラエフェクト。南アフリカ共和国のネルソン・マンデラという政治家が当時存命であったにも関わらず、不特定多数の方が「彼は獄中で亡くなった」という認識をしていた事から名前がついた、「事実とは異なる記憶を不特定多数の人が共有している現象」。By ウィキペディア

 

さて質問です。

 

べんきょう、のべん、という漢字を思い浮かべてみて下さい。左側に免除の免を偏とし、右側には何が入りますか?

 

チッチッチッチッチッチッ…

 

答えは、カタカナの「カ」です。

 

いや当たり前でしょ、と思われた貴方。私は何を隠そうカタカナの「ム」と力いっぱい自信たっぷりに答えました。

 

100%の自信があります。何をどう考えても「ム」です。私の記憶の中には勉強の勉の右側が「カ」であった時代はありません。

 

でもインターネットでいくら調べても「カ」しか出て来ません。

 

そして、私のように「ム」だと思っている、思っているどころか確信している方が世の中沢山いるのです。

 

と言う、このような現象をマンデラエフェクトと言い、多くの物事に対して起きているのです。

 

他に私がビックリしたのが、ベートーベン。言わずと知れた音楽室の主です。彼、右手に何を持って居たか覚えていますか?

 

私は羽ペン、の一択でした。

 

でも真実は…鉛筆。インターネット上にいるベートーベンが一人残らず鉛筆を持っているのです。

 

そして今日何故マンデラエフェクトの事を書こうと思ったのかというと、久しぶりにたまたまマンデラエフェクトについての情報が出て来て、衝撃のマンデラエフェクトに出くわしてしまったからなのです。

 

それは、ダヴィンチの人体図。

 

そう、あの古紙のような薄茶色の紙に描かれた、円の中に裸のおじさんが手を左右に広げて立っていて、両腕両足は一本ずつではなく少しずれて何本か描かれているあれ、です。

 

実は美大出身の私は、ダヴィンチのあの人体図なんて、なんやかんやで目にする機会は人よりも遥かに多かったと思います。

 

腕に関しては完全に片腕3本ずつの6本です。

 

足に関しては2本ずつだったか3本ずつだった自信がないのですが(初めは腕同様3本!と思ったのですが、”腕は3本ずつ足は2本のままバージョン”を載せてる方が居てその画を観たらしっくりきたので足は2本ずつだったかも…と思えて来ました)、基本の両足はまっすぐ前方につま先を向けて立っていたという部分は自信を持って言えます。

 

ですが、今ネット上で確認出来る人体図は、なんと腕と足がそれぞれ2本ずつ、しかも基本の足の左足のつま先は左方向に向けモデル立ちのような立ち方をしています。

 

これにはおったまげました。

 

あまりに興奮し過ぎて仲の良い友人にラインをし、両親にビデオチャットしてしまいました。

 

残念ながら友人と父はそもそもダヴィンチの人体図を思い描く事が出来ない、母はこれまた新しいバージョンで、腕は3本…というより、3つの全身が円に沿って少しずつ回転している(直立ではない)事によって腕が3本に見えている、という意見でした。

 

精神世界は科学的に証明が難しいので今はまだ謎だらけ。でもこのような、現実的に世界で不特定多数の人間が共通認識を持って居るという事実(胎内記憶、とか前世、とか死後の世界、とか宇宙人、とか)を、ただの個人個人の記憶や記憶違いが偶然に重なっただけだ、という事にしようとするのはかなり無理があり乱暴なまとめ方だと思います。

 

私がざっと見た限りですが英語で書かれたページに、腕は3本ずつで、足はシンメトリでモデル立ちなんてしていなかった、とおっしゃってる方が幾人もいらっしゃいました。正に私と同じ記憶。

 

パラレルワールドなのか、ドラマ「JIN‐仁‐」で言う所の「歴史の修正力」か。

 

パラレルワールドであるとすれば、どうやら私は違うパラレルワールドからこのラインに来たようです。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

ご連絡:

ブログを始めた元来の目的

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

から始まり、関連する記述を書き終えてしまったので、ブログのタイトルと説明を今月中に変えるつもりです。今どうするか考え中ですが、決まったら変更前にご報告をしますのでタイトルが変わっても引き続きよろしくお願いいたします。少しずつ訪問して下さる方が増えて来てとても嬉しいです。ありがとうございます。

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