来年末で高校を卒業する一人娘との二人暮らしで、私よりも少しお姉さんの彼女。最近不安感にひどく苦しんでいると言う。
きっと更年期のせいも多大にある事だろう。
と同時に、高校を卒業したら娘ちゃんはいよいよ自立へと本格的に進んで行く、もしかしたら家を出て行く事だって予想される。きっとそれも有ると言う。
子供が家を巣立って行ったら。
それは今までのようなキャンプやお泊りや父親の家に遊びに行ったり、という簡易的な不在ではないのだ。数日または数週間不在でまた帰って来る、でもない。
恐らくもう二度と子供と「一緒に住む」事は無いのかもしれないのだ。
私は4年ちょっと前に子供達を連れて家を出た。
今は裁判も終わり離婚も成立し、子供達は私と住み、隔週末父親の家で過ごす。学期間の休暇もきちんとアレンジメントが決まっていて、2週間ちょっと子供が不在となる時期が年に二回ある。
子供達の居ない夜にとてつもない孤独感を感じる事が何度もあった。
初めはビールを飲みながら仲の良い友人と他愛も無いチャットをして寂しさを紛らわせていた。
そしてある夜にふと、今孤独耐性の心の筋トレをしているのだ、と思った。
トレーニングを続ければゆっくりと筋力がついていくが如く、心も繰り返しのトレーニングできっと強くなる。今私はこの孤独を紛らわすのではなくしっかりと感じ、それにじっと耐えその感覚を覚え、少しずつ孤独に耐える力を養っているのだ、と。
そうして独りで孤独を味わっていると、思った通り孤独を感じはするもののずぶずぶと奥深く埋もれて行かないようになって行った。そして孤独の時間をじっと耐え忍ぶのではなくこの時間に何かしたいと思うようになっていった。
つまり孤独に退屈をし始めたのだ。
ちょっとでもやりたいな、と思う事に片っ端から手を付けていき、やがていくつかのものが残った。
音楽や書や精神世界の探求。仕事にまつわる勉強。
自分のやりたいこと、に時間を使う事こそが自分の人生に輝かしい光と栄養を与える。これはむしろ孤独でないと心行くまでは浴びる事が出来ない光の粒子と言っても過言ではない。
そして、もし子供達が巣立ち、私独りで生きて行くのだと想像してみると、日々自分のやりたい事をし、毎日の生活をじっくり丁寧に味わい、自身の身体と心に栄養を与え、その上で人と関わり合って生きて行く、という人生の完成形が想像の域ながらそこに見える。
いずれ、且つ確実に来るそんな日々。今はまだ期限付きのおひとり様時間を毎回有意義に過ごすトレーニングをしながら、その時に備えよう。
本日の写真 : 庭のフランジパニ
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