先日友人と話していた時の事です。
その方は色々と気にしてくよくよと悩む性格で、それが娘さんにも受け継がれていると感じている、と言っていました。
私は子供の頃、失敗や恥をかいた事について何日も何週間も思い返してあーでもないこーでもないと思い悩んでいた子でした。
好きな男の子に話しかけられて慌ててしまった、とか、授業中先生に当てられて答えた答えが間違えてた、とか、部活の時に下手くそなプレーをしてしまった、とか。
学校近くのビーチで友人と放課後バーベキューをしようと、私が先に行って一人で竹筒を吹きながら火をおこしていた脇をビーチに走りに来ていたサッカー部が走り抜けて行った瞬間など、穴があったらそこに永住したいとはまさにあの事。
そんな10代を過ごしていたある夜突然、「あんな事してしまって恥ずかしかったって思っている今この瞬間、○○ちゃんや〇〇ちゃんは “オリーブちゃんたらあんな事してはずかしい~” なんて、大切な時間を私如きの為に割いて考えている訳がない」って事に気づいたのです。
みんなが私の一挙手一投足にいつまでも想いを馳せるなどと思ってる事が自信過剰も甚だしいと。
それに気づいてからは、何かやっちまった日に凹んででしまいそうになる度にこの事を何度も自分に言い聞かせ、だんだん気にしないようになって行きました。
今でもやっちまう事は多々ありますが、ごめんね言い方が悪かった、とか冗談だよ、とかアフターフォローはしますがその後はお相手がこう思うんじゃないか、嫌われたらどうしようと思い悩むというレベルまでには至りません。
もし仮にオリーブちゃん失礼だわ、ちょっと彼女とは合わないわ、と思わせてしまったのだとしたら、それは純正の私の言動ですから全て自分の責任。真正面から襟を正して受け止めます。
「人の目が気になる」というのは言葉こそ「人の目」であっても、その実情は自分による判断・評価です。
他人は何とも思っていないかも知れないのに「自分が」それを失敗とみなして自分を責めたり思い悩んだりしているのですよね。
だって、私がどなたかに何かやっちまっても、それをそのどなたかがどうジャッジしてるかというのは未来永劫不明なんですから。
そのどなたかに「今やっちまいましたよね、私。どう思いました~?」なんて聞いても、ド本音で意見を言って下さるとは到底思えません。
つまり、自分の言動に対して「やっちまった認定」を下しているのは他でもない、自分自身“のみ”です。
結婚する前、アジア人10名くらいと3年程シェアハウスで生活していた時に、韓国人の男の子にこんな事を言われました。
「日本人は確かに礼儀正しくて人当たりが良い。でも、多くの場合で、本音じゃないでしょう?勧めた食事をありがとう美味しかったとほめてくれて、実はそれが嫌いだった、とか、とてもフレンドリーにしていたのに実はその人の事好きじゃない、とか。僕は日本人は好きだけど、日本人の当たり障りのない対応は好きじゃない。NoならNoと言ってくれる方が僕は好きだな。韓国人はストレートで気が強いとか言われる事多いけど、少なくとも日本人よりは正直だ。」と。
これには「ほほぅなるほど」、と思ったもんです。礼儀正しくフレンドリー、日本人最強じゃんと思っていたけど、それそのものが好きじゃない、と思う人も居るという事に。
そしておっしゃる通り、韓国人えれー失礼な事ズバっと言うなぁと思ったりもしましたが、少なくともその韓国人のシェアメイトからしたらその方が好ましいと。
そう。つまりは100人居たら同じ自分でも全ての人から好意的に思って貰える事は絶対にないのです。絶対に。
「私は人に迷惑をかけないように、嫌な気持ちにさせないように気を付けて生きてるけど、その私なりに気を付けてる状態そのものを不快と感じる人も実は世の中いるわけで。」
友人にこのお話を例に出して言うと、小粒ながらも友人の思想に一石を投じたようで、何か新しい所に辿り着けそうな気がする、と言っていました。
今日はそんな友人との初ランチです。
やっちまわないように気をつけつつ、ありのままの自分で参りましょう。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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