オリブロ

オーストラリア在住、2人の子供のシングルママ。

発達障害の元夫との結婚・家族生活が破綻しDVになっていくまでの考察

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私は離婚をしました。

 

結果的にひどい形で終焉を迎えた元夫と私の結婚生活でしたが、元々は若い男女の恋愛結婚でした。

 

私は右ならえ精神を母のお腹に入る前にどこかで落っことして来てしまったので、100人居れば99人が茶髪だった時代に黒髪ストレートだったり、異性に対しても群衆から飛び出てる人に対して魅力を感じる傾向にありました。

 

なので、ザ・アスペルガーの奇想天外な元夫の言動が私にとって魅力的に映ったのが今となってはよく理解できます。

 

結婚当初の若い未熟な私は、「自分が思う不足」にスポットを当てる人間でした。

 

その思考から、私が理想とするパートナー像に足りてない元夫の部分、周りのご夫婦が持っていて自分達にはないもの、を探し見つけてそれにより心を乱されていたのです。

 

一方元夫は白か黒しか感知出来ない脳を持ち、自身の思考以外は全て黒、という世界に生きている人でした。

 

しかも奇想天外な思考の。

 

そして、自分が黒とみなしたもの(大抵は一般世間の常識、でした)を理解は当然の事、受け入れる事すらしない人でした。

 

私は不足を満たす事が出来れば…元夫は黒を白にすれば…と思っていたのです。

 

私も元夫も相手に成長を求め、相手に原因と責任を押し付けるという思考で日々を過ごしました。

 

自分の精神性を見つめ成長させる事に取り組む代わりに。

 

そして好き合って一緒になったはずの夫婦の関係はどんどん悪化していきました。

 

なんとかしようと2年に渡り7人もカウンセラーを変えて夫婦のカウンセリングを受けもしました。

 

私は一人目のカウンセラーに会い始めた時から精神学に興味を持ち、独自で少しずつサイコロジーを学ぶようになりました。

 

そして割と早い段階で、「変えられるのはこの世でたったひとつ、自分のみ」という文言に辿り着くのです。

 

自分から産まれ出て来た子供であっても変える事は出来ない。ましてやパートナーは他人、尚更変える事など出来ないのです。

 

どんな本にも、「自分が変われば、相手もかわる」と書いてありました。

 

私はなんとか夫婦関係を良くしようと、自分を変えていく事に集中するようになって行きました。

 

どのカウンセラーも、最後は元夫とのみ対峙するセッションとなりました。私はその部屋には居てもカウンセラーと元夫が話しているのを黙って見ているだけ。

 

交互に受けていた私の個人セッションでは、カウンセラーが私に「どうやったら元夫に届くか」という話しかしなかった回もあります。

 

そして、そうなると元夫は「このカウンセラーは何の助けにもならない。」と行くのをやめてしまいます。

 

私はと言えば、元夫が持つ理想の妻像に近づこうと自分を変え続けました。

 

少しずつ関係は改善していくものの、劇的に変わる事はないまま7人目のカウンセラーとのセッションに終止符を打ち、望みはなくなりました。

 

そして全てをし尽して、最後の最後「これをやるか離婚かなら離婚」と思っていた程の、私にとって究極の項目に関しても最後の望みでそれをする事を選択しました。

 

これでダメならもう打つ手がないから離婚しようと。

 

するとみるみる夫婦関係が良くなり始めました。2年に及ぶカウンセリングは何だったのでしょう。

 

元夫はその私にとって究極の項目に至るまで全て100%私が元夫の思う通りに言動する事で機嫌が良くなり、そして元夫の機嫌が良いので私のストレスも減って行きました。

 

このまま夫婦関係は改善の一途を辿っていくものだと思いました。最高でした。

 

自分のしたい事自分の興味自分の好み自分の心地良い事は全て箱の中にしまいカギをかけて、元夫が思う通りに、やりたいように、快適なようにという主軸に沿って生きる私の毎日でした。最後の砦さえも空け渡して。

 

その状態は2~3か月程続き、次第にある事が顕著に見えてきました。

 

私自身の想い、願望、心地良さなど、少しでも私のそういった事を優先すると夫婦関係は途端に悪くなるのです。

 

そう、夫婦の片一方しか「変えられるのは自分だけ」という概念を持てなかった私達の結婚生活が成り立つ条件はたった一つ、私が私を生きる事を諦め元夫の求める妻像を完璧に演じる事だったのです。

 

そして私は全てを元夫の望む形態の私を保つ事にしだいに疲れて行きました。

 

確かに初めは元夫の機嫌が良いので私のストレスは減りましたし、なんて素敵な毎日だろうと思いました。

 

ですが元夫は”元夫が望む妻像“に向けてどんどん進化していく私に対して、もっともっととハードルを上げ、細部に至っても1ミリも違わず完璧な元夫の理想の妻を望み続けたのでした。

 

それは調教という言葉がしっくりくるであろう状態でした。

 

私はゴールが見えたらまたそのゴールが延ばされる事の繰り返しで限界値を超えてしまったのです。

 

普段の文章や言葉のチョイスも逐一直され、元夫の望むように一言一句違わず言い換えるまで何度も言い直しを要求されました。

 

朝起きてから夜寝るまで私の思考は「元夫が私のこの言動、この判断に対してどう評価するだろうか」に常にフォーカスが当たっていました。

 

子育てなどままなりませんでした。

 

子供本人に一つ指導をするのも、子供の事で先生と一言話すのも、全て「元夫がどう思うか?」に注意を配っていました。

 

でもどんなに進化しても元夫の脳と私の脳は別モノなので、完全にマッチする事はありません。

 

ましてや超白黒しかないアスペルガーの元夫です。

 

なにをしてもやっても、細かい部分をこうすべきだったと言われました。

 

24時間言動だけでなく思考も全てを元夫の望む妻になろうと捧げているのに合格点は出ない、私が望む夫像を元夫に言えば喧嘩になるので一切言わずで、私の心は疲弊して行き、しだいに24時間100%の努力が保てなくなって行きました。

 

それと比例して元夫の機嫌は坂道を転がるように悪くなって行きました。

 

そこにプラスして、その頃丁度上の子がそれまでのようには親の言う事を聞かなくなる年齢に入った事で反抗するようになり、夫婦関係で抱えきれないストレスを常に抱くようになった元夫は、子供達に、特に上の子に過度の暴力をふるうようになって行きました。(それまでも手は挙げていましたが、明らかに理性を完全に欠き怒りに任せて手を挙げるようになり、子供も何度も怪我をしました)

 

しつけと言う名の。

 

そして、私は子供達を連れて家を出る決意をしました。

 

 

aspergerlife.hatenablog.com

 

 

元夫は、それがアスペルガーやナルシシストの性質だからなのかわかりませんが、今もなお自分の思想や意見と違うものを受け入れる事はしません。

 

元夫の唯一の同年代の友人の、政治に対する思想が気に入らず、去年からその友人と会うのをやめてしまったと子供達に聞きました。

 

この経験を通して、自分が変われば必然的に相手も変わる、とよく書いてありますが、「但し、例外も有り」という注意書きが必要だと強く注意喚起します。

 

今私は毎日幸せです。自分を生きています。

 

今日の写真 : 2023年11月 スーパーブルームーン

 

とても長くなってしまいました。最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

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