こんにちは、オリーブです。お盆も終わり日常が戻りますね。まだお休みの方もいらっしゃるでしょうか。安全に楽しい時間が過ごせますように。
このブログでは長年元夫からの精神的DVに気づかず私が悪いと耐えた末、子供達への加速する執拗な精神的圧力と物理的暴力から子供達を守る為にDVシェルターに逃げ込んだ実録を記載しています。
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翌朝一週間お世話になった宿を後にし、とうとうシェルターに入りました。
Zさんから大まかな流れは予め聞いていました。
家を出てシェルターに入り、接近禁止令を申し立て、接近禁止命令が出るまでは子供達は学校には行かない、そしてシェルターはどこに空きが出るかわからないので、車で数時間の所である可能性もあり、その場合はシェルターに住んでいる間子供達は転校を余儀なくされる、といったような事です。
ところが運よく私は同じ市内で学校にも通える距離の所でした。
その日までお世話になっていた短期の宿同様、冷凍の食事もオフィスに置いてあり、セキュリティーもしっかりしていて安心して過ごす事が出来ました。
仮の接近禁止命令も無事に元夫の元に渡ったので、学期の最後の一週間はシェルターから子供達を学校に通わせる事も出来ました。出れないかと残念がっていたクリスマス会も無事に参加する事が出来、生活の場所は変わったものの同じ学校で毎日お友達と過ごせるようになったのは子供達の精神にとても良かったと思います。
一方私はまず子供達を安全な形で父親に会わせる手筈を整えようと担当のケースワーカーさんに相談しました。
ですがやはり、接近禁止命令が出るまでは子供達は父親には会わない、とだけ言われました。
この流れもZさんから聞いていた事ではありますが、時期的に2週間後のはずだった本裁判は6週間後、しかも翌週からは夏休みが始まり、クリスマスも目の前です。
西洋の文化ではクリスマスは一年で一番大切な家族で過ごす日です。この時期の6週間を全く父親と過ごさせないという選択は私の頭にはありませんでした。
第三者立ち合いの元で子供達を父親に合わせるというのは家を出る前から計画していた事でした。
私の目的は子供達から父親を取り上げる事ではなく、父親との接点を取り除く事でもなく、子供達にとって安全な環境を整える事、ただそれだけでした。
家に帰るのが怖い、親がまた怒鳴るのではないか、などに心を向けて育って行くのではなく、宿題がどうの、スポーツで勝った負けたがどうの、友達との関係でがどうの、好きな子がどうの、そういった子供達自身にまつわる事に一喜一憂しながら育って欲しかったのです。
安全な環境でありさえすれば、子供達にとっては両方の親と会えるのがベストです。
私は外部の無料の法律相談所に相談し、後々裁判等になった時に問題ないように法的な事を確認し義弟に立ち合いをお願いして、公園で子供達を父親と会わせました。
家を出て約三週間後の事でした。
帰ってきた子供達は私に顔を見るなり「ママ!ダディに、自分達は充分楽しく過ごしてるからダディには会う必要無い、なんて言ったの?!」と私に言って来ました。
私は「は?誰がそんな事言ったの?」と静かに答えました。
子供達は即座に真剣な顔になり「え……、嘘?」と小さくつぶやきました。
私は「家を出た時から何度も、ダディに会えるようにママは準備してるからちょっと待っててねと説明したよね。家を出てから今までママはこれを最優先に時間を使ってきたの。必要無いなんて思ってたらそんな事しなかったよ」と言いました。
この後も第三者立ち合いのもと子供達を元夫に1~2週間おきくらいに数回会わせ、本裁判の日を迎えました。
家を出、DVシェルターで生活 ④ に続く
今お辛い環境に身を置かれている方、毎日、誰か私をここから救い出してと願っている方、私もそうでした。ある日誰かが私と子供達を連れだしてくれないかと。
でも、ご自身にその力はあります。覚悟さえ決めて家を出てしまえばあとは動いて行きます。ご自身のその力をどうか信じて下さい。