オリブロ

オーストラリア在住、2人の子供のシングルママ。

家を出、DVシェルターで生活 ⑩ 最終話

こんにちは、オリーブです。

皆様お疲れ様です。土曜の朝、いかがお過ごしですか?

昨夜下の子が寝る前に急性副鼻腔炎的な症状を訴えナースのヘルプラインに電話して指示を頂き、その後は無事にぐっすり朝まで眠る事が出来ましたが、今日は医者に診せるように指示を受けているので念のために連れて行こうと思います。

 

 

このブログでは長年元夫からの精神的DVに気づかず私が悪いと耐えた末、子供達への加速する執拗な精神的圧力と物理的暴力から子供達を守る為にDVシェルターに逃げ込んだ実録を記載しています。

 

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さて、シェルター住まいも3か月半が過ぎた頃、ケースワーカーが常時するシェルターではなく、シェルターが持っている住まいに移るように言われました。

 

 

 

 

 

そこは普通に家族が住むような感じの住居で、勿論ケースワーカーもおらず、何かあったらすぐにケースワーカーに助けを求めに行けるという事もなくなります。

 

 

 

 

 

その頃までにはやらねばならない事務処理もほぼ済み、シェルターに住んではいるものの新しい毎日の生活をしっかり回していけるような状態になっていましたし、ケースワーカーの助けを必要とする事案もほぼなくなっていました。シェルターから卒業して、いよいよ一人で生きて行かねばなりません。

 

 

 

 

 

この外部の住居へ移るのは、その練習と言った所でしょうか、まだサポートは得られる状態ではあるものの、日々の生活を、シェルターで同じ状況にある他の母子やケースワーカーと、ではなく、そこから切り離されて核家族として進んで行く第一歩となります。そしてシェルターを必要としている母子は後を絶ちませんので、もう自分で一人立ち出来る私は後の方に場所を譲らなくてはなりません。

 

 

 

 

 

そこに移ってまもなく、コロナが蔓延し、学校も閉鎖になったり街全体がロックダウンになったりと丁度家に籠る時期となり、庭もある所でしたので快適に過ごす事が出来て本当に感謝しています。

 

 

 

 

 

そして本格的に一人で子供達を育てて行く為賃貸物件を探し始め、2か月経った頃に個人で借りた賃貸物件に引っ越しました。完全にシェルター機関からの卒業。実務処理や食べ物など、一切のサポートが終了となりました。

 

 

 

 

 

丁度家をでて6か月が経とうとする頃でした。

 

 

 

 

 

DVで家を出、単独親権を勝ち取るまでの道 ① に続く

 

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DV被害者の状況に居る方は、加害者またはそのDV環境に対しての依存性が問題となる事が多々あります。私もそうでした。人間はどんなに不健康で危険であったとしても、その環境でとりあえず命は繋げてきたという経験からそこから出る事を恐れ、結果留まるまたは戻ってしまうという事が起きます。シェルターにせっかく逃げ出してきたにも関わらず、シェルターを卒業して一人になった途端、一人で生きる未知への恐怖に耐えきれずまた加害者の元に戻ってしまう人も決して少なくないそうです。総合的に見た時に、結局人は精神力であると私は結論づけました。物理的なあーだーこーだは問題ではなく、それをやる覚悟があるかないか、それに尽きると思います。

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑨

こんにちは、オリーブです。今日もブログを覗きに来て下さりありがとうございます。

 

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シェルターに居た時にケースワーカーさんがDVワークショップなるものを見つけて下さり私も参加してみる事にしました。

 

 

 

 

 

週一回の5回に渡るワークショップで、私も含め9人の被害者が参加していました。身体的なDVを受けた人、精神的なDVを受けた人、色んなタイプのDV被害者が居て、初めの日の自己紹介においてある精神的DV被害を受けた方が、「皆さん(身体的DV)に比べたら私はまだましかもしれませんが…」と言い、それを他の方が「DVにマシとかは無い。身体的だろうが精神的だろうがどんな形であろうとDVはDV。みんな大変な思いをしてこの部屋に辿り着いた、ただそれだけと発言しました。皆筆舌に尽くしがたいDV被害者の経験をした人達でしたので理解が深く、精神的にとても安全な会でした。

 

 

 

 

 

その中で子供の脳について学ぶ会もありました。DVを受けた、または目の当たりにした子供の脳はしばしば発達に障害が見られる事があります。脳が委縮するのだそうです。それにより、様々な脳機能障害を持ってしまうリスクがあります。

 

 

 

 

 

私が懸念していたのもまさにこれでした。私に対しての精神的DV(週3回程度5時間程怒鳴られ続ける、”何をしても”間違えている、私のせいで元夫も家族も不幸にしている、と繰り返し繰り返し言われる、子供が元夫の理想にハマらない言動をすると私がちゃんとしつけをしないからだ、と言われ、口で言ってわからないなら叩けと言われ、まるで並べられた卵の上を歩くような全身が緊張した生活を強いられる)は私さえ我慢すれば家族の形が保てるならそれで良いと思っていました。

 

 

 

 

 

ですがその状況の中で生活する子供達にとって良いわけがありません。私が家族の形を壊すにあたって強く強く胸に刻んだ決意は「子供達に安全かつ安心して暮らせる日々を提供する事、子供達が大人になった時に加害者にならないように、子供達の脳を守る事」でした。

 

 

 

 

 

この5回に渡るワークショップに参加して本当に良かったと思った事の一つに、それでも前を向いて子供を守り育てて行くという決意を持った力強い女性達に出会えた事でした。

 

 

 

 

 

後日談ですが、1年程経ったある日、その中の一人(ワークショップではまだまだ沈んでいて発言などもする状況ではなかった感じの方でした)を街中で見かけた事がありました。娘さん二人と楽しそうに笑顔で歩いてる彼女を見て、私は声をかけませんでしたが、一瞬にして視界がぼやけ、神のご加護がありますようにと心からのエールを送りました。

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑩ 最終話 に続く

 

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渦中に居た時、「誰か助けて」「誰か、私と子供達をここから出して安全な場所に連れていって」「誰も助けてくれない」「これはこの閉鎖空間で起きている事で誰も知らないんだ」と言うような思いを毎日していました。絶望していました。出た方が良いし出たいけど気力がついてこない、そんな状態でした。ですから、色々なサポートを受けたのは本当に良い選択だったと思います。

今まさにそんな状況にいらっしゃる方、まずは外に相談してみて下さい。身体が動かなければ電話でも良いです、まずは話をして、外の空気に触れてみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑧

こんにちは、オリーブです。

今日もブログを見に来て下さり、ありがとうございます。今借りている家の契約が、状況によりけりで出なくてはならない可能性があるので、昨日は家を何軒か見に行ってきました。

 

 

 

 

 

実は私、若い頃から間取り図を見るのが大好きです。よくポストに入っている不動産屋のマンションのチラシなど、買うつもり全くないのに(というか買えない…汗)眺めてるだけで楽しいです。Youtubeなどでも間取りや物件紹介のチャンネルをよく観ていますが、同じ感覚をお持ちの方、いらっしゃしませんか?(笑)

 

 

 

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さて、前回はシェルターに居た時に受けたカウンセリングの事をお話しました。

この時まで実は私は元夫のアスペルガー症候群がこの状態を引き起こしているのだと思っていました。元夫は元々抗うつ剤を常用していましたが、結婚して3年経った頃、義母に勧められて受けた発達障害のテストでアスペルガー症候群の診断を受けました。

 

 

 

 

 

アスペルガー症候群には積極奇異型、受動型、孤立型、尊厳型と4つのタイプがあり(5つとされる説あり)、元夫は尊厳型にハマる感じでした。且つ、診断を受けた所で「気が済んだか?」と、自分はアスペルガー症候群なのだから伴侶である私がそれに対する対応を考えるべきだと口に出して言われ、自身は全くそれに対応する気はなく私はカサンドラまがいになり…そしてついにはこの結婚生活を破綻させた要因だと私は思っていました。

 

 

 

 

 

ですが、DV専門機関のカウンセラー(子供達のカウンセリングの許可を取る為に元夫と電話で話した人)は、彼はナルシシストだと思う、アスペルガー症候群というよりナルシシストの特性が強く出ているとおっしゃいました。

 

 

 

 

 

私はそれまでナルシシストについて何も知識も無く存在についても日本人の思う自分大好きナルシスト、というイメージしかありませんでした。そこでナルシシストを詳しく調べて行くと確かに元夫はアスペルガー症候群の尊厳型よりもナルシシストの言動の方にバッチリ当てはまる事に気づきました。

 

 

 

 

 

元夫のナルシシスト気質が生まれ持ったものなのか、アスペルガー症候群故の第二次障害として後天的に形成されたものなのかは私にはわかりません。ですが、この元夫のナルシシスト気質を指摘された頃から、それまで薄ぼんやりとしていた、「私にはどうする事も出来なかったんだ」という事が輪郭を持ってどんどんと形になって来たのでした。

 

 

 

 

 

DV加害者にその意識はありません。全く自身が加害言動をしているという理解はないのです。ですから、パートナーや家族がどんなに頑張った所で、「本人」にその気がなければ、真剣に自身のしている事について専門家の意見を聞いてみようという、直そうという気が無ければ、”絶対に”事態は好転しません。しないばかりか悪化する一方です。

 

 

 

 

 

だからDVが起きている場合は、ある程度(人によって程度の違いがあるでしょうが)で見切りをつける必要があるのです。自分の頑張りでどうにかなる状況ではない、という事を被害者もこれもまた専門家の意見を真摯に聞いて冷静に正しく理解し、その場から安全な形で速やかに撤退するという選択が必要なのです。ましてやそこに無抵抗の子供が絡んでいる場合は尚更です。

 

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑨ に続く

 

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今私のブログを読んでうちもそうかも…と少しでもよぎった方、然るべき人と話をしてみて下さい。その相手と話をしてもダメです、本人に悪い事をしている意識はありません。そしてどんなに貴方が頑張っても、関係は治るものではありません。

 

 

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑦

こんにちは、オリーブです。

今日もブログを覗きに来て下さりありがとうございます。

 

日曜夜に友人とウォーキングに行き12000歩歩き昨日は8000歩歩きました。今朝は腰回りが筋肉痛です。私くらいの年齢の女性は7~8千歩は毎日歩いたら良いそうですが、なかなかコンスタントに歩けていません。皆さんは運動されていますか?

 

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さて、シェルターで有難かった事の一つに、カウンセリングがあります。今日はその事についてお話しようと思います。

 

シェルターに居た時、シェルター付きのカウンセラーと、また外部のDV専門機関のカウンセリングとをダブルで受けました。どちらのカウンセラーもDVがどういうものか被害者がどういう心境に陥っているのかに理解が深く、一つ打ち明けるとそれに対して私の心が温かいお風呂に浸かったような安心感に浸るような言葉やお話をして下さりました。

 

DV被害者は異常に責任感が強く情に熱いという性質を持っている人が多く、私も例外ではありませんでした。そしてDV被害者にありがちなのが、責任感が強いが故に自分が悪いという自己否定批判の思想に陥って行く事です。

 

私も長年の執拗な元夫からの否定批判により、自分に自信が無いばかりか、自分の考えを信じる事さえ出来ない状況にあり、当時は自分が決めた事する事全てに他人の賛同が必要でした。

 

また、日々の子供の生活の事で元夫とe-mailでやりとりをせねばならなかったのですが元夫は婚姻時代から1何かを提示したらそれに可能な限りの反対意見を述べてその発想をした私を批判し、それに対して説明を求めて来て、私が説明してもそれにも更にこれに関してはどうなんだと説明を求めて来る、また説明をしないと何か月でも「まだ〇〇についての意見を聞いていない」と言い続けて来る人でした。

 

仮に私が完全に元夫の反対意見を打破出来た時は(世界的に有名な機関の科学的調査によって証明されている文献を使う必要がありました)その話題には触れず、私がまだ答えていない何か別の案件について私を責めなおしてくる人でした。

 

私は当時元夫への一つのメールを書くのに何時間も費やしていました、この言い方では突っ込まれる、この説明ではまだ足りない、これだとこれに対して言ってくるからこれも書いておかないと、と。一つのメールに山ほどの布石を打つ為の何時間も費やしていました。と言ってもどんなに布石を打っても結局責められるのですが。

 

そして元夫からのメールを受信すると鼓動が早くなり、心身が硬直しました。結局元夫はなにをどうした所で、攻撃的な(しかもそれは大抵完全に理不尽な言い分でした)メールを送り付けてくるのです。

 

シェルターのカウンセラーにその事を相談すると、カウンセラーは、メールを開く前に”さ、批判が書いてある”とそれを普通と頭で設定する事、そして自分の感情・意識をメールに繋げない(イメージワークです)事。仕事として、会社へのクレームを処理している秘書のようなイメージで、とアドバイスして下さいました。

 

そして答えるべき、答える必要のないものを仕分け、答える必要の無いものは無視しなさいと言われました。でもそうすると元夫はいつまでも答えを聞いてくる、と言うと、「それについては答える必要は無いと判断したので今後それに関して聞いてきても一切返事はしません」とキッパリ言いなさい、と。そんな事をして良いのだという事に驚いたのを覚えています。考えればそうですよね、イチャモンに付き合わねばならない道理などある筈ありません。

 

DV専門機関のカウンセリングは、元々は子供達のカウンセリングを予約する為に行きました。初回で話を聞いて貰い、子供達のカウンセリングには両親の同意が必要だからとカウンセラーが元夫に確認を取る事になりましたが、元夫の答えはNoでした。カウンセラーは「私と話しているから普段よりマシに話してるんであろう事は容易に想像出来るけど、良い感じからは程遠い」とおっしゃっていました。

 

と言う事でDV専門機関へは私のカウンセリングをそのままお願いし、シェルター付のカウンセリングは片親の同意のみしか必要ではないので子供達はシェルターのカウンセラーからカウンセリングセッションを受けました。

 

心のケアも勿論そうなのですが、私の精神状態では到底発想もしなかったような物理的な対応の仕方を指導して頂いたのでとても有益でした。

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑧ に続く

 

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今この瞬間、まさに同じような状況にいらっしゃるこれを読んで下さっている方、貴方からは出てこない発想(しかもそれは至極当たり前の)に触れる事で道が開けるかもしれません。どうか家の外に助けを求めて下さい。

 

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑥

オリーブです。こんにちは、素敵な日曜の朝をお過ごしでしょうか。

今日もブログを見に来て下さり、ありがとうございます。

 

私はこの週末は子供達がいないのでおひとり様を満喫しています。昨夜は夜星座のアプリで夜空を見ていたらいつも気になっていた星が自分の星座を創る一つだった事を知り、正直初めて自分の星座を夜空で見たので感動しました。

 

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さて、家の荷物も取り、初裁判も終わり、次にやらねばならないのが自分の名前を賃貸の契約書から抜く事です。

 

家に荷物を取りにいくのに鍵を保持しておくにあたりそれまでは名前を抜く作業はしていませんでした。もし賃料が遅れたり、元夫が夜逃げをしたりその他何かしら起こったら私も連帯責任を取らなくてはなりませんので、荷物を回収出来た今、不動産屋に連絡をして名前を抜いて貰うようにお願いしました。

 

不動産屋は元夫にメールで私の名前を抜くための書類を送りサインを求めましたが、元夫はそれに反応しませんでした。

 

ですので、今度は行政裁判所に私の名前を抜く申し立てをしました。それを知った元夫は、家賃はきちんと自分が払うから、私の名前を残しておいて欲しいと言ってきました。その時、インターネットや電気代等の契約は私の名前でしておりましたので、それを全部変えねばならない事が面倒だったのだと思われます。

 

それもNoと突っぱね、裁判の日を待ちました。ちなみに、電気代やインターネット等は各それぞれの会社の連絡先や契約内容について細かく説明をしたメールを元夫には送っていました。

 

結局、裁判の日の前日に元夫は不動産屋からの書類にサインをしたので、申し立ては取り下げる事となり、無事に私の名前が賃貸契約書から取り除かれ、各ライフラインも私の名前の契約はキャンセルとなりました。

 

どんな行動を起こそうとしても必ず抵抗してくる元夫。何をするにも弁護士や警察、裁判所を通して、それでも最後の最後まで話し合いはまとまらないという事が続きました。結婚時代そのままでしたが、結婚時代は法をもって元夫に対峙してくれる人はおりませんでしたので、それと比べたらだいぶ楽でした。

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑦ に続く

 

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今、まさに渦中にいらっしゃる方々、今起きている事について正しく判断して下さい、まわりの信頼できる方の意見にも耳を傾け、ご自身がコントロール出来るものか出来ないものなのかの仕分け、そしてコントロール出来る部分のみにご自身の気持ちと労力をお使い下さい。コントロール出来ないものにしがみついたり希望的観測はお持ちになりまぬように。他人は変わりません、変えられるのはご自身のみです。

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑤

週末ですね!皆様いかがお過ごしですか?オリーブです。

今日もブログを覗きに来て頂いてありがとうございます。

 

昨日は子供の学校行事があって早朝から夕方まで大忙しでした。

今週末は子供達は父親と過ごすので夕方に子供達を父親に渡してきて、私はおひとり様です。

 

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さて今日は話は少し前後してしまいますが、前回書いたDV本裁判の前に起きた出来事、家に荷物をとりに行った件について書きます。

 

Zさんと家族支援機関の方に事前に聞いていましたが、とりあえず身の回りのモノを持って家を出た後に、自分のものを取りに帰るのに警察に立ち会って貰う事が出来ます。

 

私は鍵をまだ持っていましたので、クリスマスに元夫も参加した親戚のクリスマス会に子供達をおろしたその足で家にモノを取りに帰りました。すると鍵が変えられていたので、警察に事情を話して公式に取りに帰る事にしました。

 

警察に行きその場で女性警察官が元夫に電話をし、事情を話して日時を設定してくれました。そして、「話がしたいと言っているけど、どうする?」と言ってきました。

 

私がわかりましたと言うと彼女はスピーカーにして机の上に置いてくれました。

 

元夫は何故こんなやり方で出て行ったんだ、言ってくれれば離婚したのに、子供達がわいそうだ、と言ってきました。

 

私が黙っているとずっと文句を言い続けているのを見て女性警察官がこちらの音声をミュートにし、「ずっと聞かなきゃいけない理由はないのよ。終わった?」と言うので、「私からは何もいう事はありません」と言うとなんとそのままブチっと電話を切ってしまったのでした。

 

当時の私は元夫がどうであろうと私が元夫に対して失礼な言動をする事なんてとてもとても出来る精神状態じゃありませんでしたので、元夫からすればこちらの会話は聞こえていなかったし急に切られたと思われる、と気持ちがその心配で覆われたと同時に、その裏では薄っすらとですが、こんな事をしても良いんだ、と微かに思ったのも覚えています。

 

数日後、4人のお友達にも手伝って貰い、警察官2名立ち合いの元、家に荷物を取りに行きました。元夫は家にいませんでした。

 

私が使っていた部屋に、私の荷物も含め共有のモノも山積みになっていました。

 

後々正式に離婚をするにあたり、財産分与をするので共有の持ち物は持ち出してはいけない、と聞いていました。

 

ですので、確実に私自身の持ちモノだけを持ち出す予定でしたが、おそらく共有のものではあるけれど元夫が必要ないと判断してそこに置いたのであろう持ち物も全て私とお友達の車に詰め、空っぽになった部屋に掃除機をかけて終了しました。

 

その日の夜は、あの綺麗さっぱり空っぽになった私の部屋を見た時の元夫の気持ちを想うと心が締め付けられて堪りませんでした。

 

何故こんな事になってしまったんだろう。

私が違う対応をしていたらこんな事にはならなかったのではないのか。

 

この自問自答はこの後2年程続く事になります。

 

ともあれ、これで荷物も終了。物理的にあの家に行く必要は無くなりました。

 

次は家の契約から私の名前を抜かなくてはいけません。

 

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑥ に続く

 

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もし貴方が今現在苦しい立場に置かれていらっしゃるなら、是非外部に相談して下さい。DV被害を受けている方は正しい判断能力が著しく低下しています。きちんとした感覚を持った方に相談して、今貴方が置かれている状況について、正しく説明して貰い、正しく認識して下さい。

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ④

こんにちは!オリーブです。今日も私のブログに来ていただきありがとうございます。

オーストラリアは冬の終わりを迎え段々と朝晩も温かくなって来ました。今朝もすがすがしい朝です…が、我が家では二人の子供がどちらも具合いが悪く、今日も学校お休みです。

 

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さて、今日は初めてのDV裁判の日についてです。

 

本裁判の日。

 

子供達を友人宅にあずけ、ケースワーカーさんに付き添って貰い裁判所に向かいました。とても暑い日でした。

 

DV裁判の際通常の待合室で相手と顔を合わせてしまうという事に懸念のある人の為の特別な部屋があり、私も事前に申し込みをしていたのでその部屋に通してもらいました。

 

家を出て6週間経っていましたが、何年もの間執拗に責め立てられ続けた経緯から、そしてまた日々送られてくる元夫からの怒りと批判のEmailもあり、私の精神はまだ元夫への恐怖でいっぱいでした。

 

直接話したりする事はなくても法廷で同じ空間に居る、という事を想像しただけでとてもストレスでした。

 

この裁判に対し元夫には4つの選択肢がありました。

 

1 認め、受け入れる

2 認めはしないが、反対もしない

3 戦う

4 欠席する

 

1、2、4はそのまま接近禁止命令が出る事となりますが、当然元夫は3を選択してきました。

 

数日前に弁護士を立て、裁判所に元夫が被害者という事で私に対し接近禁止命令の申し立てをしてきました。

 

これをクロスアプリケーションと言うようです。

 

クロスアプリケーションでは両方の申し立てを同時に処理します。ですが、イキナリ法廷には入りません。その日の法廷付の弁護士さんと打ち合わせをし、私と相手の弁護士さんが何度かお互いの主張をすり合わせて示談を試みます。

 

そして示談に至らない場合は判事に委ねます。

 

元夫は、お互いに受け入れようじゃないかと提案して来ました。

 

当然私は蹴りました。

 

すると次は、お互いにコンセント(裁判所からの命令、という形ではなく、本人が裁判所にこのようにしていく、と約束をする、という形のもの。それを破ってもお咎め等は無い)をしようじゃないか(つまりは”この申し立てはこのような形で示談になりました”、と申し立てを破棄する)と言ってきました。

 

勿論それもNoです。

 

どんな示談案を持ち出されようとも私は法廷で決着をつけるつもりでした。

 

第三者に、しかも公的な人間に判断してもらいたかったのです。

 

この頃の私は判断能力が著しく低く、自分のしている事考えている事が正しい事なのかどうかの判断を常に他人に委ね、自分のしている事は正しい、と自信を持つ事ができませんでした。

 

何十ページにも渡り記載した今までの出来事と、法廷内でお互いの人となりを実際に見て貰い、その道のプロにちゃんと判断してもらいたかったのです。

 

そしてまた、それだけが唯一、妻が思慮浅くて間違えていて全ての元凶であり、自身は家族を守る為に正しい事をしている、と信じ繰り返し繰り返し私に執拗に言い続けて来た元夫へ、「間違えてるのはお前だ」、という事を提示する方法でした。

 

結局法廷に入る前の交渉では、子供達との面会についての詳しい取り決めをし、それにお互いサインをするに留まりました。

 

そして実際に法廷では、次の裁判の日取りとそれまでに出すべき書類を言い渡され、私に出された仮の接近禁止命令がそれまで延長となりました。

 

まだまだ戦いは始まったばかり。ついに正式な接近禁止命令を勝ち取るまでにここから1年半かかる事は、この時の私は知る由もありませんでした。

 

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ⑤ に続く

 

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今苦しい思いをして毎日を長いトンネルの中にいるような気持ちで過ごされている方、必ず出口は来ます、そして出口に向かう一歩を踏むのは他でもない、ご自身です。まずは然るべき機関に話をしてみて下さい。

 

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ➂

こんにちは、オリーブです。お盆も終わり日常が戻りますね。まだお休みの方もいらっしゃるでしょうか。安全に楽しい時間が過ごせますように。

 

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翌朝一週間お世話になった宿を後にし、とうとうシェルターに入りました。

 

Zさんから大まかな流れは予め聞いていました。

 

家を出てシェルターに入り、接近禁止令を申し立て、接近禁止命令が出るまでは子供達は学校には行かない、そしてシェルターはどこに空きが出るかわからないので、車で数時間の所である可能性もあり、その場合はシェルターに住んでいる間子供達は転校を余儀なくされる、といったような事です。

 

ところが運よく私は同じ市内で学校にも通える距離の所でした。

 

その日までお世話になっていた短期の宿同様、冷凍の食事もオフィスに置いてあり、セキュリティーもしっかりしていて安心して過ごす事が出来ました。

 

仮の接近禁止命令も無事に元夫の元に渡ったので、学期の最後の一週間はシェルターから子供達を学校に通わせる事も出来ました。出れないかと残念がっていたクリスマス会も無事に参加する事が出来、生活の場所は変わったものの同じ学校で毎日お友達と過ごせるようになったのは子供達の精神にとても良かったと思います。

 

一方私はまず子供達を安全な形で父親に会わせる手筈を整えようと担当のケースワーカーさんに相談しました。

 

ですがやはり、接近禁止命令が出るまでは子供達は父親には会わない、とだけ言われました。

 

この流れもZさんから聞いていた事ではありますが、時期的に2週間後のはずだった本裁判は6週間後、しかも翌週からは夏休みが始まり、クリスマスも目の前です。

 

西洋の文化ではクリスマスは一年で一番大切な家族で過ごす日です。この時期の6週間を全く父親と過ごさせないという選択は私の頭にはありませんでした。

 

第三者立ち合いの元で子供達を父親に合わせるというのは家を出る前から計画していた事でした。

 

私の目的は子供達から父親を取り上げる事ではなく、父親との接点を取り除く事でもなく、子供達にとって安全な環境を整える事、ただそれだけでした。

 

家に帰るのが怖い、親がまた怒鳴るのではないか、などに心を向けて育って行くのではなく、宿題がどうの、スポーツで勝った負けたがどうの、友達との関係でがどうの、好きな子がどうの、そういった子供達自身にまつわる事に一喜一憂しながら育って欲しかったのです。

 

安全な環境でありさえすれば、子供達にとっては両方の親と会えるのがベストです。

 

私は外部の無料の法律相談所に相談し、後々裁判等になった時に問題ないように法的な事を確認し義弟に立ち合いをお願いして、公園で子供達を父親と会わせました。

 

家を出て約三週間後の事でした。

 

 

帰ってきた子供達は私に顔を見るなり「ママ!ダディに、自分達は充分楽しく過ごしてるからダディには会う必要無い、なんて言ったの?!」と私に言って来ました。

 

私は「は?誰がそんな事言ったの?」と静かに答えました。

 

子供達は即座に真剣な顔になり「え……、嘘?」と小さくつぶやきました。

 

私は「家を出た時から何度も、ダディに会えるようにママは準備してるからちょっと待っててねと説明したよね。家を出てから今までママはこれを最優先に時間を使ってきたの。必要無いなんて思ってたらそんな事しなかったよ」と言いました。

 

この後も第三者立ち合いのもと子供達を元夫に1~2週間おきくらいに数回会わせ、本裁判の日を迎えました。

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ④ に続く

 

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今お辛い環境に身を置かれている方、毎日、誰か私をここから救い出してと願っている方、私もそうでした。ある日誰かが私と子供達を連れだしてくれないかと。

でも、ご自身にその力はあります。覚悟さえ決めて家を出てしまえばあとは動いて行きます。ご自身のその力をどうか信じて下さい。

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ➁

こんにちは、オリーブです。今日もブログを見に来て下さりありがとうございます。

お盆、いかがお過ごしですか?こちらオーストラリアは当然お盆はありませんので、日本の両親とビデオチャットをしてリモート帰省をしました。

 

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さて今日は仮の宿にいる間にした、接近禁止命令の申し立てについて書きます。

 

翌日、市から派遣されたスタッフの方がいらして、私が申請出来る、また申請すべきサポートについてパンフレットを持参し詳しく説明して下さいました。この情報が無かったら知らずに申請期限が過ぎてしまうようなものもありましたので(緊急な事が起きて7日間の間に申請しないとおりない経済サポートもありました)、本当に助かりました。

 

また私がシェルターに入って真っ先にやりたかった事が、DVO接近禁止命令を裁判所から元夫に出して貰う為の申し立てをする事でした。

 

Zさんからの説明ではシェルターではそれに精通している為、全部教えて貰えるから入ったらすぐに取り掛かると良いよと言われていました。ですが、私は一日も早くDVOを出して欲しかったのでした。

 

毎日一般道を車で走る事すら恐怖でした。

 

いつどこ元夫に見られてしまうかわかりません。学校は行っていませんでしたが、子供達の精神面を良好に保つ為、お友達と公園で会ったりする事がありましたので急に元夫が現れて子供達を連れていかれてしまったら事は取り返しのつかない事にもなりかねません。ですから、一刻も早く申し立てをしたかったのです。

 

ですが、なかなかシェルターに空きが出ません(結果的に一週間かかりました)ので自力で申請する事にしました。

 

治安判事裁判所では無料でDVOの書類記入を無料でサポートしてくれるサービスがあります。

 

住んでいた市の治安判事裁判所に行くつもりでいたら、そのサービスは月曜と金曜しかやっていないとの事。その日は火曜日でした。

 

ですが、調べたら隣の市の治安判事裁判所は毎日そのサービスを行っている事がわかり、翌日子供達をお友達に預かって貰い足を運びました。

 

実は、警察からパンフレットと書き方の見本を事前に頂いていましたので、この時点で私は何十ページにも及ぶ資料は作成済みでした。それをフォーマットに沿って書類を正しく仕上げるという作業が必要で、これを裁判所のスタッフの方に手伝ってもらい、明日の朝申し立てをしましょうという事で、その日は最終確認をお任せして私は裁判所を後にしました。

 

翌日は子供達を連れて裁判所に向かいました。

 

申し立てをしたらそのまま待合室で待ち、一度裁判所付きの弁護士さんに呼ばれ打ち合わせをしました。書類の確認をし、法廷内では私はその方の隣に居れば良いという事、また入室から退室までの流れを伺い、15分くらいで終わりました。

 

それからしばらくして自分の名前が呼ばれ(正式には自分と元夫の名前です)法廷に入りました。説明して頂いていた通りに進み、その場で被告人不在で仮の接近禁止命令が出ました

 

この命令には子供達の名前も記載されました。原告は子供達ではなく私なので、子供達の名前も載るのは珍しくはないものの、当たり前の事ではないようで、ほっとしました。

 

後で思いましたが、私は私自身ではなく子供達に対しての元夫の接近禁止命令を望んでいたので、子供達を原告にして私が代理申請者という形が正しかったのだと思います(その申請の場合裁判所がどう判断を下していたかはわかりませんが)。

 

この接近禁止命令は1~2日以内に警察から本人に直接渡され説明がなされ、そこから効力が働くという事でした。

 

ですので元夫が警察から実際に受け取らないと、効力はありません。世の中にはそれをわかった上で居留守などを使い受け取らない、という人もいるそうです。

 

これが元夫の手に届けば、道端で私達を見かけても、近づいたり、ましてや子供達を連れ去ったりする事は出来なくなりました。

 

そしてこの本裁判は6週間後に設定され(通常は2週間後程度のようですが、年末で裁判所も閉まる為に6週間後となりました)、この本裁判で認められれば正式なものが出る事になるはずです。

 

これには私はもちろんの事、被告人である元夫も異議があれば出廷しなくてはなりません。申請した裁判所での裁判になるので、今後出廷の際はこの隣の市の裁判所まで足を運ぶ事になります。

 

その日の夜元夫に、仮の接近禁止令が出た事、そしてそれが警察から直接届けられる旨を直接メッセージで伝えました。

 

すると数時間後に、自ら交番に行って貰ってきたと返事が来ました。警察との行き違いで元夫の元に届くのに日数がかかったらどうしようという私の危惧は杞憂でした。

 

そして原本を貰って子供達(法廷に入っている時は、子供達は待合室でiPadで遊んでいました)と宿に帰る途中にご飯やさんに寄っていた時に、DV機関から、シェルターに空きが出たので明日の朝宿をチェックアウトしたらそこに向かうようにと連絡が入りました。

 

少しずつ少しずつ、前に進み始めました。

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ➂ に続く

 

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今閉鎖された家庭の中でお辛い日々を送られている方々の希望の光を少しでも灯せるきっかけとなれたらと願うばかりです。

 

 

 

 

家を出、DVシェルターで生活 ①

こんにちは、オリーブです。今日もブログを見に来て下さりありがとうございます。

 

長年元夫からの精神的DVに気づかず私が悪いと耐えた末、子供達への加速する執拗な精神的圧力と物理的暴力から子供達を守る為にDVシェルターに逃げ込んだ実録です。

 

初めまして、の方、どうぞこちらからお読み下さい ↓ ↓ ↓

 

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異国の地で子供二人を抱え、もう帰る家はありません。
でもその事実に対する不安よりも、今夜あの家に帰らなくて良いという安堵の方が圧倒的に勝っていました。
 
先の事を考える余裕はありませんでした。元夫がどれ程怒り狂うだろう、という不安は多大にありましたが、今夜は怒鳴られない、元夫を見なくて良い、子供達が目の前で虐待されるの助ける事も許されずに見る事も無いのです。
 
子供達と大きなアートショップに行きしばらくそこで色々見ていた時に、その日の宿の住所と説明のメッセージが届きました。
 
シェルターは空きがないので、今夜はとりあえずその宿に泊まってくださいという事でした。Zさんから説明は受けていたので想定内でした。本当にほっとしました。

 

粘土やその他のモノを買って車に乗り、宿に向かってドライブしている途中に、上の子が右手で胸の当たりを押さえてため息をつき「ナーバス」と言いました。聞くと、家に帰りたくない、だそうです。

 

もう既に宿の近くでしたのでベストな頃合いと思い、路肩に車を停めて子供達に話しました。以下は実際に私と子供達との間でなされた会話をそのまま記載します。

 

「後ろを見て。(私はその時ワゴンに乗っていたので私の荷物は車内から見える状態でした)ママね、家を出てきたの。もうあの家には帰らない。」

 

上の子

「え?今日どうするの?」

 

「これから宿に行くよ」

 

上の子

「え、じゃぁ家には帰らないの?」

 

「そう」

 

ここで、上の子は先ほど胸に当てていた手でガッツポーズをしました。

 

そして、私は真剣に、「ママはあの家にはもう戻らない。これからしばらくはダディに会えないけど、でも必ずまたダディに会えるようになるから、そこは心配しないでね。君たちはとっても大変でストレスフルな日々を送ってきたから、明日からは学校もお休みして、ママと楽しく、とにかく楽しい毎日をしばらく過ごそうね」と言いました。

 

上の子が「学校いかないの?やった!…あ、でもクリスマス会出れないか…(2週間後の学期最後の週にクリスマス会が予定されていました)」と言ったので、「クリスマス会、出れないね…残念だね。じゃぁ、おうちに…帰りたい?」と聞くとブンブンと頭を横に振りました。

 

また、私達夫婦は4年前にも1年間別居をしていた事があるので、上の子は「じゃぁまたママとダディ別々で住んで僕たちがママの所とダディの所で住む?」と聞いてきたので、「ママはこれからいろんな人の助けを借りてそういう事も決めていくからね」と言いました。

 

まだまだスタート地点に立ったばかりだというのはわかっていましたが、子供達の反応を見て、今までの生活は終わり、これから違う未来を創っていくんだという思いがこみ上げて来ました。

 

宿にチェックインし、3人ともビクビク怯える事もなく、ご飯を食べてシャワーに入ってテレビを観て川の字になって寝ました。子供達は終始笑顔でした。

 

その宿は、私のような境遇の母子の為の、シェルターに空きが出るまでの一時滞在用の宿で、受付に冷凍庫があり何種類かの冷凍食が常備されていてそれを無料で頂く事が出来ます。本当にありがたかったです。おやつやドリンクなども有料で購入する事が出来ました。

 

Zさんはその日は非番だったにも関わらず、emailで様子を聞いてきてくれていたので無事に家を出て宿に3人でチェックインした事を報告したら、すぐに返事が来て本当にほっとした、良かったと喜んでくれました。

 

あの日Zさんの「家を出るまでサポートしても良いですか」というあのオファーが無かったら私は実際に今日こうやって家を出れていたかわかりません。

 

元夫はその曜日は夜スポーツをしていたのですが、それに出かける頃に「何時に帰ってくるんだ?」とメッセージが来ました。私は元夫が既にスポーツを始めたであろう時間が回ってから、「子供達と家を出ました。子供達は無事です。落ち着いたらこちらから連絡をします」と、Zさんに教わった文章のみを返しておきました。

 

このような状況の場合、後々裁判になった時の事を考えると、子供達は無事という事、そして状況が落ち着いたらこちらから連絡を入れる、という意思を伝えておく事が重要な事のようでした。

 

スポーツが終わったであろう時間が来ると元夫から着信が何度も来た末、一言だけメッセージが来ました。日本語では表しにくいのですが、ふざけんな、という感じのニュアンスでしょうか。

 

私は元夫から精神的に支配されていたので、電話やメッセージが来るのが本当に本当に怖くて仕方がありませんでした。留守電は怖くて聞けませんでしたし、毎日何通か来る長々と書かれた怒り狂い私を批判するメッセージも朝の午前中のうちにだけ開くようにしていました。

 

これからの数か月は、物理的にやらねばならない事が山ほどあり、それに忙殺される事となります。

 

家を出、DVシェルターで生活 ➁ に続く

 

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今、辛い状況に身を置かれている方に、私が書くことで未来への希望が持てますように、そして願わくばご自身でそこを抜け出し、自由になって生きて行く為の覚悟が持てる一押しとなれたらそんなに嬉しい事はありません。

私にも出来たのです、貴方も必ず出来ます。

 

 

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